社会科と体育で悩んできた。
鎌倉時代についての記述が「源頼朝が鎌倉に幕府を開いた」から始まる、ということ。だからこそ鎌倉時代という呼称なわけだけど、私が学校の歴史の授業を好きじゃなかった理由はつまりここにある。
権力者個人の権力欲がまずあって、この権力を維持するために社会の仕組みが決まって、その生成維持破綻、次の権力者にとって代わる、権力が誰から誰へ移って行って、…を学ぶのが歴史という教科なのなら、そんなもの要らない、と。
日本では、社会の仕組みが変わるのはいつも、権力者の都合で、上からなし崩しにだった。下からの突き上げ=革命で時代が変わるということがなかった。
といって世界史なら興味があったというわけでもない。
社会科一般が苦手だったし、興味が無かったし、嫌いだった。
「文化史」なら興味を持てた。権力の所在地で時代を呼ぶ「大和時代」「奈良時代」に興味が無くても「飛鳥時代」「白鳳時代」「天平時代」には興味があった。
これはつまりどういうことなんだろう?
文化、あるいはもっと狭く「芸術」は、ヒトの生の「目的」たりうる。
世の中の仕組み、それについての学問「社会科」は、ヒトの芸術の営みを支える「手段」ではあっても、それ自体が生の目的にはなり得ない。
という感覚。
理科と芸術は宇宙と呼応する。
宇宙の仕組みは解るけど、社会の仕組みは解らない。