「輪廻のおじさん」

ヒトを2種類に分けるとしたら?

「自分」と「それ以外」。

これだけたくさんの人がいるのに何故「自分」だけ存在様式が決定的に違うのだろう?

何故「自分という個体」と「自我意識」とは1対1対応なのだろう?

 

 

私が私の自我意識を持って再びこの世に生まれることはあるか?

 

仮定:塩基配列が自我意識を現出する。特定の塩基配列が特定の自我意識を現出する。もし全く同じ塩基配列が再現されたら、そこには同じ自我が再現される。

 

相原コージ『コージ苑』に「涅槃のおじさん」というキャラが出て来る。作者自身がそう呼んでるのだが、なぜそう呼ばれるのか、謎だ。繰返し登場するのだが、その都度死んで、次回同じキャラとして再登場する。これは涅槃ではなく、逆に、解脱できずにいる「輪廻」ではないか。

「涅槃のおじさん」と「ジェハンじいさん」は似ている。

 

全く同じ塩基配列が再びこの世に生まれてくるのに要する時間が、何億年なのか、何兆年なのか、知らない。

そんなに待てない、とお思いだろうか?時間はこの世の「制度」だ。「待ち遠しい」という感覚も、ヒトとして在りヒトの生理を営む限りのものだ。

 

こういう体験はおありじゃないだろうか?時間を過ごすのが辛い時、眠剤を飲む。辛い時間が辛くない時間に置き換わるわけではなく、眠剤が効いている間の時間はカウントされず、ただ「眠る前の辛い時間」に直接「目覚めた後の辛い時間」が接続されるだけ、という虚しい体験。

ちょうどあのように、現世で死んでから、来世に生まれるまでの時間は「カウントされず」現世と来世とは「直接接続される」。この世にいない間、この世の制度の時間も、待ち遠しいという感覚も、無い。

 

こうして、私の自我意識を持った私は、現世がそのまま再現された来世で、あなたの自我意識を持ったあなたと、再会する。