ライヴのアイデア。
概要
美術館か水族館のような内部構造の建物。
その各所に数十個のスピーカを配置する。各スピーカでそれぞれ別々の音の出来事が鳴り続けている。それぞれの出来事は、間欠的でもいいし、持続的でもいいし、パターンの反復でもいいし、それ自体何かの変化・展開を持つものでもいい。(トータルとしてうるさくなり過ぎない方がよい。)
聴き手は建物の中を歩いて移動してゆく。順路を設けてもいいし、好き勝手に歩いてもらってもいい。
いくつかの音の出来事が色んな方向、色んな距離から聴こえて、混ざり合ってトータルとしてひとつの音楽を形成してる。聴き手が歩くにつれ、前方のスピーカの音が近づいて来てクレシェンドし、後方のスピーカの音が遠ざかってディミヌエンドし、ブレンドの割合が刻々変化してゆく。
特徴
①聴き手それぞれのポイントで音楽が成立してて、それぞれの聴き手が、各人各様の音楽を聴いてる。
②聴き手の移動によって音楽が「進行」する。入場することによって曲がスタートし、好きな長さ曲を聴き、退場によって曲が終わる。
思い併せてもよいもの
イーノのディスクリート・ミュージック。ジャン=クロード・エロアの電子音楽作品「がくのみち」。"The Faust Tapes"。
"The Faust Tapes"については私の個人的体験からの連想。実家にあったCDがトラックに分かれておらず、43分間のトラックが1つという体裁だったのを見て、「これはもしかして『どこから聴き始めてどこで聴き終えてもよい音楽』として発想・提示されてるのか??」と思ったのだった。
考え方
街や、自然の中の散歩のように、その中を散歩するための音楽作品。
ちょうど、遊歩道では川がせせらぎ続け、歩みを進めるにつれ、その音が茂みの陰から漏れてきたり不意に足元にあったり、梢が戦ぐタイミングにちょうど居合わせたり居合わせなかったり、鳥が色んな定位色んなパースで間欠的に囀ったり、そして散歩者はいつどこからそのコースに入っていつどこからコースを逸れてもよい、というように。
でも、すでに自然があり、街があり、そこは「散歩され聴かれるべき音楽」に満ちてるのに、そこにさらにもう1つ作品を付け加えることに、意味があるだろうか?
作品を作るという目的の側から見れば、自然はそのための大いなるヒントをくれるけど、目的のための目的に陥ってる。ぎゃくに、世界の音楽を豊かにするという目的の側から見れば、その作品が無きゃ無いで誰も困らないではないか?
この作品を聴くことで、自然や街の物音への意識の向け方が変わる、「聴き方の提示」程度の役割は担えるだろうか?生意気に言って、啓蒙。
追記
Jean-Claude Eloy "Gaku-No-Michi" は2010年にCDが出てるのを今知った:
https://www.discogs.com/ja/release/2463745-Jean-Claude-Eloy-Gaku-No-Michi
1979年に既にLP2枚組が出てたようだが、この曲は4時間以上あるので、抜粋だった筈だ。
私がむかし聴いたのは、ごく一部、10分間くらい。実家にあったFM放送のエアチェックテープで。NHK電子音楽スタジオで作られた作品を年代を追って紹介する、3回に亘る特番だった。上浪渡がホストで、ゲストが1回ごとに、諸井誠、一柳慧、柴田南雄。放送がいつだったか判らない。
エロアのこの曲が取り上げられてたのは第2回で、上浪氏がこの曲における「変化」の捉え方について論じてらした。
その正確な引用は出来ない。各トラックに持続的な音のイヴェントが録音されてて、重なってトータルで音階のうねりになってて、あるトラックが徐々にフェイドインして来て、代わりに別のトラックが徐々に退いてゆく、その変化が非常にゆっくりで、「今ここで変わった」と指摘できず、いつの間にか変わってる、というようなことだった。
私が大事だと思うのは、たとえば変奏曲のような、ある長さを持つ主題が、繰り返される度に形が変わってる、という「指折り数えられる」変わり方ではなく、「連続的な」変化だ、ということ。
私の「ライヴのアイデア」を、録音してCD化することも出来るし、それは表現形としてはイーノのディスクリート・ミュージックに似てるかも知れない。
でもそれは音楽の散歩の無限の順列組合せのうちのたまたま1通りのケースのシミュレイションに過ぎない。
さらに追記
以前ある方からこのマリー・シェーファーの動画
を教えて頂いた時の感想を、この記事への追記として再録する:
あまりに気持ちがぴったり来すぎたために、その場で感想を申し上げられませんでした。
曲が、完全な問いであり、曲自体がそれへの完全な答えであって、それ以上コメントのしようがない、みたいな。
ものすごく判りやすいし、ものすごく美しいし、ものすごく好きです。
私のイメージする音楽の在り方はとっくに先行事例があるのだな、と口惜しいです。
環境の中で自然の音を聴くのと同じ聴き方で聴ける音楽、自然の音を聴くことを、ちょっとだけモデル化して見せるのがすなわち作曲、みたいな、この曲を聴くことで自然の音の聴き方も変わってくる、みたいな。
音の場に包まれて、生で聴きたいです。
追記 2020年04月03日
Jean-Claude Eloy "Gaku-No-Michi" がアップされました。
2007年の CDr のフル。1979年の LP と同内容で、トータル2時間弱です。
この曲は4時間以上あるので、半分ほどの抜粋ということです。
4時間全部を収めた CD は、その後2010年に出ました。
1979年、2LP、Disques Adès 21.005、フランス
2007年、2CDr、Creel Pone 070, 071、アメリカ(unofficial)
2010年、4CD、Hors Territoires HT 01-2-3-4、フランス