※追記しました※ T.Sasaki 「其ハ在リシ日ノ妄執ノ顛末」

もりをみたすれいきふるえ

つのぶえ

かなたかみみもとか

きおくか

つきのひかりのあらう

しずまりかえるそうしんじょ

其ハ在リシ日ノ妄執ノ顛末

 

じせいたいのきめをあらみ

つのぶえ

たえつつつづきつつ

きおくへ

めをこらすそのさきに

ほのじろくれいきゃくとう

其ハ在リシ日ノ妄執ノ顛末

 

 

追記

 

Aメロは基本クラリネットファゴットオクターヴニゾンで、その上にアクセントづけで、歌詞でいうと「つのぶえ」「きおくか」の箇所に、チャイム的な音色+パッドと、グロッケンの音色が、ユニゾンで加わる。

このアクセントづけの音色が、「月の光の飛沫」めいて、曲の色彩を決めてると思うんだけど、なぜこんなに控えめの音量なのか?

強調してもよさそうなのに、それ自体として聴かせる気が無いというか、音色づくりのいち「要素」として扱うことに徹してるというか。

殊更の強調を潔しとしない、といっても、「聴こえる範囲で最小の音量」は「作曲者以外には聴こえない音量」だからね。

 

で、この曲、↓の曲とモティーフが共通してる。

「妄執」の0'16"~0'33"が、「South Asian Pop」の0'08"~0'36"の前半後半を入れ替えた形。

どっちがどっちの使い回しなんだろう?