ドビュッシー:チェロ・ソナタ

 

Maurice Maréchal (vc)、Robert Casadesus (pf)、1930年録音。

テンポが速い。もしかしたら SP の収録時間の制約がこのテンポを決めてるのだろうか?

 

Stéphane Tétreault (vc)、Natalia Ardasheva (pf)、第14回チャイコフスキー国際コンクール(2011年)での演奏。

レガート

当ブログでも拙ツイッターでも「レガート」の語を一度も使ってないことが判明。

 

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但し当ブログで「ゲイトタイム100%」とは言ってる。定義浄土内田。

定義上同値だ。

いや、ちょっと違うか。

私が「レガート」と言う時は、「フレーズ」を「歌わせ」たい時だ。現場では、「ゲイトタイム100%」であることは「レガート」のために必要であって十分ではない。

 

私はレガートを、具体的にはピアノの先生から仕込まれた。

私がレガートに言及しないのは、基本過ぎるからだ。スタカートやテヌートやマルカートに言及するのは、ことさらに意識して扱うものだからだ。

 

今の私は、レガートが

①「歌わせる」ことであること

②身に付いた「習慣」であること

が、うざい。

 

「レガートという概念を必要としないからレガートに言及しない」ところまで行きたい。

(アメブロのお題「転校したことある?」に応えて)

私は今までこのように認識してた:

「小学校5年生に上がる時転校があった。進度に差があり、算数で落ちこぼれた」

 

算数は一段階抜かすと、その後を積み上げられない。

 

思い直すに、転校前と転校後とで、私の理解度に差があったのではなく、私の理解度についての私の理解度に差があったのではないか?

つまり

「進度に差があった」

のではなく、

「転校前も理解できてなかったんだけど、自分が理解できてないことに気付いてなかった」

のではないか?

 

自分が算数で落ちこぼれてることを自覚したのは、算数の時間にではなく、家庭科の時間にだった。

5年生最初の授業が「裁縫箱を入れる袋を作る」だった。

教科担任の先生が、裁断の寸法について

「よこまわり/2(にぶんのよこまわり)」

とおっしゃった時。

なにいってるかわからなかった。

にしてもここは先生、「分数と割り算は同じ」ということを理解できてない児童もいることを、当然想定すべきだったんじゃないか?

なぜふつうに

「よこまわりのはんぶん」

とおっしゃって下さらなかったんだろう?

 

たぶんこの時私は、隣の子の寸法をそのまま写すか何かして、切り抜けたんだと思う。

分数未習得はそのままに。

 

 

今日の空耳。

0'52"「ありもり メンヘラ女」

0'57"「めっちゃスケベ」 

1'04"「安倍政権の冬」