良い pop、悪い pop

以前、音楽は本来 personal のものであって、public に供する目的で作られる pop は作り手をも聴き手をも疎外する、と書いた。

今回別な視点で、 pop に肯定的に書く。

pop こそ prog という例。

 

徒な深刻を笑い飛ばす、批評としての乾いた pop。

 

私がプログレを選ぶ際のキーワードのひとつに 'cheerful insanity' がある。むろん "The Cheerful Insanity Of Giles, Giles & Fripp" に由来する。これと、いわゆる「アヴァン・ポップ」とは、選曲としては近くなる。

 

どメジャーだしベタだけど、貼っておく。

私個人の事情だけど、この曲と本当の意味で「出会う」のにはいくつか段階を踏まねばならなかった。知人がくれた寄せ集めMD(の時代でした)に入ってて一度聴いた筈なんだけど、その時は印象に残らず、いったん完全に忘れた。

ある時、突然頭の中で、途轍もなく独創的な「天才」の音楽が鳴りだした。

私はふだん音楽家を評価するのに「天才」の語は用いない。この語で片付けることで逆にその音楽家の天才を無効化する。「すごく良い」の、ボキャ貧ゆえ言葉に窮しての、言い換えに過ぎない。

でも、この、頭の中で鳴りだした音楽は「天才」としか言いようのないものだった。たしかあのMD(の時代でした)に入ってた筈、と確認したら、'Bike' だった。

一聴でその凄さにピンと来なかったのは、当時「エコーズ」「狂気」の大掛かり、音響の斬新こそピンク・フロイドでありプログレだ、と意識がロックオンされてしまってて、'Bike' は、ポップソングとして、意識に引っ掛からなかったのだった。

 

あと、これなんだけど、Steve Hillage のアルバム "Motivation Radio" から。

このアルバム、"Fish Rising" の聴き手のあいだではどう評価されたんだろう?ロサンジェルス録音で、じっさい音としてそれまでよりファンキーでポップで、果たして「カンタベリー」認定されたのかどうか。

私は大好き。

 

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