「(ニュートンが)虹を7色としたのは、当時、7が神聖な数と考えられていたからである。音楽のオクターブもドレミファソラシの7音からなる。ニュートンは美しい虹も7つの基本の色からできているとしたのである」
(Wikipedia「虹」)
がんらい赤から紫へ連続的に移り変わる虹の色を、ニュートンがむりやり7段階に押し込めた。
逆に考えると、音の高さだってがんらい連続的だ。
ただ、音階が7つの音からなるのには(神聖云々を別にして)合理的な理由がある。協和する音程を整理して並べると、ダイアトニックの形に落ち着くのだ。
1度(ド)、5度(ソ)、3度(ミ)、5度から見た5度(レ)、5度から見た3度(シ)、4度(ファ)、4度から見た3度(ラ)。
協和を基礎に考えるとそうなる。じゃあ、微分音を考えるには?
そもそも「微分音」というネーミングに違和感を覚える。オクターヴを12等分する響きに飽きて、新しい響きを求める時に、さらに細かい刻みで等分し直す、という発想から来るネーミング、という印象。
たしかに音楽史を通じて、「協和」はそのインターヴァルを狭くしてゆく方向に「進化」したし、平均律の中で考える限り、それはドデカフォニーで行き詰まる。そこで、例えば「4分の1音」を採用することは、次の「進化」の必然のようにも見える。
でも見え透いてるよね。
4分の1音刻みであれ8分の1音であれ5分の1音であれ、あるいはもっとランダムなものであれ、微分音の「スケール」をひとつ設定して、つまり「外枠」を設定して、それに沿う、というのはつまらない。
平均律の外枠に沿うのと、根本的には同じ。
ピッチはスケールで階段的にではなく、連続的に変化するものであるという前提。
声部 A のある箇所のノート a があるピッチを取る。
それに対して声部 B のノート b がハモってくる。
その時に、b がピッチを決めるのに、スケールの中での位置付けではなく、a との関係によって、なされる。a に対してどういうインターヴァルでハモるのか。純正3度なのかそれより広めなのか狭めなのか。
その場その場の関係。
あと、ピッチというものは、和声のためのものであるほかに、倍音として重ねられたり、モデュレイタとして働いたりして、音色を作るためのものでもある、ということ。
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