(2016-09-03 記)
日本語ではなぜ、複合語A+BのBの最初の清音が濁音化するのか。
くちじゃみせん。こぢんまり。みみづく。つくつくぼうし。
理由は2つあると思う。
日本語が「母音、または子音+母音、または『ん』で1音節」なこと。
複合語の要素Bの第1音節には、かならずアクセントが置かれること。
(日本語で「ん」と表記されるのは、音としてはn、ŋ、mの3つで、語尾でŋになるから日本語ではこれが基本かな、と思う)
「五目そうめん」なのか「五目ぞうめん」なのかという話題に接した。
「ごもく」の「く」が「ku」なら、「ぞ」だと思う。
母音(と「ん」)は当然すべて有声音である。
「gomoku soumen」の「s」は前後を「u」と「o」、2つの母音に挟まれている。
しかもこの「so」はアクセントを置いて発音される。
このストレスを受けて、「s」が「z」に有声化するのは、自然な流れだ。
「母音、または子音+母音、または『ん』で1音節」にあっては、語頭以外の子音は必ず前後を有声音で挟まれることになる。
ただ、この「ku」は、「u」が落ちて「k」と発音されるのが、少なくとも東京方言においては、ふつうだ。
「ごもく」の「く」が「k」なら、「そうめん」だと思う。
「gomok soumen」を「gomok zoumen」と発音させるストレスはここには働いていない。
平たくいって、それは発音しづらい。
わざわざ発音しづらくするような音韻変化のストレスは、存在しない。
無声音「k」に続いては「s」と発音されるのが自然な流れだ。
以上は、清音が濁音に変化する場合、そこにどういうストレスが働いてるか、の説明の試みです。
そのストレスが掛かれば必ず濁音化が起きる、ということではありません。
「五目ぞば」とは言いません。
言葉の話題ついでの、おまけです。
ロジャー・ドールトリーは、ロジャー・ダルトリーと表記されることもあります。
音楽の分野では、むしろダルトリー表記が一般的であって、ドールトリー表記が現れるのは、どうやらピーター・バラカン以後のようです。
但し、ロジャーは俳優でもあります。
昔「BBCシェイクスピア全集」というシリーズがあって、日本でも「NHKシェイクスピア劇場」として放映されていました。
BBCでの最初の放送は1978年、NHKでは1980年から1987年。
このシリーズ中、ロジャーは、「間違いの喜劇」にドローミオ役で出演していて、この時のNHKでのクレジットは「ロジャー・ドールトリー」だったようです。
演劇の分野では、1980年当時既にドールトリー表記が一般的だったのかも知れません。