(2016-03-06、記。「戦後、国が決めた表記は場当たり的」は事実誤認を含みますが、そのままにします)
山口優氏のこの御ツイートをきっかけに考えました:
「ずつ」と「づつ」どっちが正しい?のネットでの回答の多くが「国が定めてるから『ずつ』が正解」というもので、じゃあ君たち国に「はなじ」が正しいって言われたらそう書くんだなよしわかった。
— 山口優 (@yama_g) 2016年3月5日
問題は2つ。
①正解の根拠を「国が定めてるから」に求めるな。
②じっさい、戦後、国が決めた表記は、場当たり的で原理が無い。
①について。
言葉はあなたの命だ。あなたの命はあなたが運用せよ。国に委ねられることは一つもない。
いつも言ってることだけど、「きまりごと」に即し「きめごと」を排除せよ。
原理を求めるならおおもとを見究めよ。そして最終的には自らの責任において単語を選択し文法を運用せよ。
「国」にしろ「一般常識」にしろ、恣意のくせに原理のフリをする権威を打倒せよ。ロックの名において。
②について。
戦後の国語表記は、歴史を蔑ろにしてるし、音韻の原理を無視してる。
そもそも [z] [Ʒ] と [dz] [dƷ] は別の音だ。
[z] は [s] の有声音で破裂しない。[dz] は [ts] の有声音で破裂する。
問題は、地方によっては今も両者が別の音として発音し分けられていることで、これを無いこととして、中央が、国が、表記を一律に押し付けるのは、暴力だ。
私、「ミミヅク」表記の普及をささやかにすすめている。
「ツク」がフクロウの古称だ。
どうしても「ミミズク」と表記したいなら、「ナベヅル」「マナヅル」を「ナベズル」「マナズル」と表記せよ。
要するに、筋を通せ。