母の日

Genesis 'Mama'(1983年のアルバム "Genesis" からの1枚目のシングル)の歌詞の内容は、Phil Collins によると「ある十代の若者の、年上のセックスワーカーへの執着」なのだけど、「堕胎を胎児の視点から歌ったもの」と解釈されることが多いし、バンドの本意が Collins の説明するところを以て全てとは限らない。

「僕のチャンスを奪わないで」がどっちの意味なのか。

 

私は "Abacab" 以降の Genesis を殆ど知らない。でもこの曲はなぜか知ってるし、好きだ。

Linn LM-1 ドラムのプログラミングは Mike Rutherford がやってる。

3'30" 目からのドラムは Collins が叩いてる筈。出だしでは4拍目が休符、3'47" 目からそこにスネアが入るけど、私の勝手な記憶と食い違って、4拍目のスネアに「ため」は無いし、極端な強打でもないのだった。

 

以前 "Abacab"(1981年)について、

「ポップへの路線変更、妥協、折衷」どころではなく、スタイルの「徹底」が獲得してる表現の「強度」に驚く

と書いたけど、聴き込んだわけではないです。

Metabolist 'King Quack'

Metabolist のアルバム "Hansten Klork"(Drömm Records、1980年)から、'King Quack'。

フル・アルバムのつべも上がってる。各曲単独のつべは、この 'King Quack' については、上がっては削除されを繰り返してて、今また上がってるのを発見した。

 

改めて聴き直して驚くのは、ベースの役割の大きさ。

倍音成分の過剰。ベースラインとしてのベースじゃなくて、音響、音場としてのベース。

この曲は「場が鳴ってる」感が強いけど、それがほぼほぼベースによって作られてる。

弦自体の振動よりも、ディストーションによって引き出される楽器の各パーツの共鳴のほうがメインででもあるみたいに、倍音を微細にピックアップし増幅し、さらに空気を、場を、共振させる。

 

初期のロックマガジンで阿木譲が「呪術」とか「神秘主義」とか「ポゼッション」とかの語を頻りに使う。当時のいわゆるオルタナの諸作に共通するものを言い当てる語として。

その牽強付会が、でもまあ例えばこの Metabolist 曲とかに由来するんだろうな、というのは、判る気もする。

 

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メモ(ギター・ソロ)

私がギター・ソロを聴かないのは、世のギター・ソロの大半が「単旋律」だから。

もっと正確にいうと、ギター・ソロのために設けられる § が「メロと伴奏」のホモフォニーで出来てるから。

 

だから、いまの若い方たちがギター・ソロをスキップなさるのとはおそらく動機が全く違う。彼らにとってはヴォーカルがメインで、ヴォーカルは聴いてて、ギター・ソロは「間奏」なので飛ばす、ということなんだと思う。

 

私はギター・ソロも聴かないけど、ヴォーカルはもっと聴かない。

 

ギターはメロディ楽器じゃない。ギター1台で多声部の構造を作れる。

あと、多声部のアンサンブルのうちの一声部を担当する場合、そのギター・パートは「単旋律」かもだけど、それはいい。