時間軸上の点と持続

「3時から始まる」

という言い方に違和感を覚える。

「3時に始まる」

と言うべきだ。

「から」を使いたければ

「3時から行われる」

でよい。

「3時から始まる」と言われると「3時から何時まで始まるの?」と問いそうになる。

 

「~から〇〇する」において、

「〇〇する」は、「~から」で示されるポイントを起点に、ある時間の長さを占有して「持続して」行われる。

「始まる」は時間軸上の「点」で、「持続する」ものではない。

もし「3時に始まる」を「3時から始まる」と言い得るのであれば、「6時に終わる」を「6時まで終わる」と言い得ることになってしまう。

 

音楽をやってると、時間軸上の「点」としての時間=ステップタイムと、「持続」としての時間=ゲイトタイムの峻別には、必定意識的になる。

五線記譜法の音符が「点」に近い「玉」の形をしてるのは不合理だと思う。これは学習者の時間認識に少なからぬ悪影響を及ぼしてると思う。

音符は「長さ」をもつ「線分」であるべきだ。視覚的形状として。

「1拍目」とは「1拍目の始まりの点から1拍目の終わりの点=2拍目の始まりの点までの長さ」のことだ。

もし点ないし玉で表すなら、それは拍の始まりの点=ステップタイムを示すことであるべきで、例えば1拍目の場合、小節線の真上に書くべきだ。

 

「3拍伸ばす」という指示は、「3拍目の終わりの点=4拍目の始まりの点まで伸ばす」ことなのだけど、初心者は3拍目の途中で伸ばすのをやめてしまいがちだ。

こういうことが起きるのは、ステップタイムとゲイトタイムの区別が徹底されてないからなのだろうし、五線記譜法というものが、時間認識を歪めているからなのではないか?

Cluster "Cluster II"

呼び方が判らないので「対称」と呼ぶ。

例えば、「だんだん強く」と「だんだん弱く」は、言葉による表現として対称だし、視覚的に、クレシェンド記号とディミヌエンド記号は対称の形をしてる。

でも、ヒトの聴覚による認識において、これらは本当に対称だろうか?

 

豪雨の音が強まったり弱まったりを繰り返す只中にいると、クレシェンドは意識されるし恐怖を覚えるけど、ディミヌエンドには気付かない、ということがある。

 

ある法案に「賛成」というのと「反対」というのは、本当に対称の関係なのか?

賛成するのに要するエネルギーと反対するのに要するエネルギーとは、同じ大きさなのか?

各値が50%であることを以て「拮抗」と単純に言っていいのか?

 

 

"Cluster II"、こんなことやってたのか。すげえ。(いまごろ)

私がとくに凄いと思ったのは、「連続的変化」。

 

曲の進行・展開について、例えば変奏曲のような「ある長さをもつ主題が、繰り返される*1たびに形が変わってる」という「指折り数えられる」変わり方ではない「連続的な」変化、というのがある。複数のトラックが重なってて、ひとつがフェイド・インしてくる入れ替わりに別のひとつがフェイド・アウトしてゆく、そのことが曲の進行・展開である、みたいな。

「ここまでが主題提示、ここからが第1変奏」「ここが第1変奏の終わり、第2変奏の始まり」というポイントを特定できない、「気付くといつの間にか変わってる」という変わり方。

これを思ったのは、Jean-Claude Eloy "Gaku-No-Michi"(1977~8年作曲)を聴いた時なんだけど、こういう在り方はもっと以前からあったんだろうとは思ってた。

"Cluster II" は1972年の録音・リリース。ここに既にあるじゃないか。

 

 

で、「気付くといつの間にか」といっても、鳴り始める音、クレシェンドないしフェイド・インしてくる音には比較的気付きやすい。

でも、こういう在り方の曲の中において、あるトラックがディミヌエンドないしフェイド・アウトしてゆくことは意識の対象になりにくいし、「今ここでこのトラックが鳴り已んだ」と確認することを、ヒトの認識は、ふだんやってない。

 

音楽は、ヒトの認識の対象である、殊に聴覚による認識の対象である、ということがアルファでありオメガだ。数値が同じ=効果が同じ、という世界ではない。というか、もし数値化したいなら、ヒトの認識をも対象に含めてやらねばならない。

*1:これを「繰り返し」と呼ぶのは全く正しくないけど。

Ivor Cutler 'Counting Song'

数として数値として意味は無いけど数字の並びとしてかわいい:

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10進法は便宜に過ぎないから、その中で起こることを面白がるのは数の本質から逸れることなんだけど。

 

そもそもヒトが10進法を選んだのは指の数がたまたま5本だったからなんだし。

Ivor Cutler and Linda Hirst "Privilege"(Rough Trade、ROUGH 59、1983年)。プロデュースが David Toop と Steve Beresford で、演奏でも参加。

↑のつべの画像は2009年の CD のジャケ。

オリジナル LP のジャケ(Discogs から):

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