彼女が正しい

ある時私は求職者だった。

「高所恐怖症なんです」

「でしたら、あなたに相応しい仕事は、これ!」

コックピットに押し込まれる。

アポロはぐんぐん高度を上げる。

「ゔぉああああああ!!!降ろせ!!!!降ろしてえええええーーーーーーーーー!!!!!!!」

大気圏外に出た時、私はハローワーク職員のアドヴァイスの適切を知る。

無重力のそこでは、上も下も、したがって高さも、無いのだった。

 

ある時私は看守だった。

彼女A、彼女Bも看守だった。3人はそれぞれ小島を1つずつ宛がわれ、そこに囚人を閉じ込めていた。

監督管理強化の指示が出た。

私は泳いで逃亡されないよう、大陸を遠ざけようと思ったが、大変な土木作業で、挫折した。

彼女Aは、大陸ではなく小島を移動し、強化を完了した。

何故それを思い付かなかったか!でも私は、小島の周囲の海底を掘って深くした彼女Bほどバカではなかった。

氷河期が来た。小島は大陸と地続きになり、囚人は難なく脱出した。

彼女Bの囚人以外は。

 

ある時私は消費者だった。

スーパーで月1回ヤマザキフェアがあり、紅茶シフォンケーキが入荷する。

「定番に入れてくれたら毎日買うのに」

ある月のフェアで、欲張って、2個買った。

満足したが、し過ぎた。気持ちがぱったり止んだ。

バイヤーは正しかった。

Minsoo Chang - Die Taten

 

楽器によらない音が、音楽に取り込まれて、楽器の音と平等に扱われてる、とも聴こえるけど、

 

私は逆に、

(もともと、作曲の作為・演奏の作為への「うしろめたさ」があり、自然の音のありように憧れるのだけど、)

この曲では、作為が作為のままで在りつつ、広大な音の世界の一員であることを許されてる、と聴こえて、救われた。

 

視覚情報があると、全く違って聴こえるのかも。

 

作曲者のご意図は全く存じ上げず、以上は私個人の勝手な救われです。

 

追記。リマスタリングによる迫真の音像:

開放弦

開放弦の響きが好きだ。

 

私はエルガーを「ちゃんと」聴いてなかった。

さいきん「威風堂々第1番」をちゃんと聴く機会があって、腰を抜かした。中間部のゆるやかなアンセム風のメロ、ヴァイオリンが奏する主メロが、最後の音に差し掛かった時。

このメロはト長調だ。最後の音(とその4つ手前の音)は低い g だ。これをヴァイオリンでやるわけだ。

G線の開放弦!

「フレットの無い指板上で弦の一端が指に押さえられる・触れられる」ことによって、その弦の響きは影響を受ける。開放弦ではその影響が無い。籠らず、透明で、力強い響き。

そしてノン・ヴィブラート!

開放弦の響きが好きなのだと自覚した瞬間だった。

 

昨日カンテレにふれた。

「ツィター属」という分類は、その定義、指す範囲が、必ずしも厳密でないようだ。

構造によるのか、奏法によるのか、見た目の形状に引き摺られて判断するのか。

カンテレにせよ、「ツィター属」分類に私は積極的意義を見出せない。

私が強調したいのは「開放弦で鳴らされる」点だ。

これがこの楽器の透明な響きの理由のひとつだし、指板によらず、欲しい音程をすべて弦の本数で調達する、ということが、「不自由」であるよりも「贅沢」と思える。

「機能よりも音色を優先する」という意図なのかどうか、この楽器がこの形を取った、それを今日まで保った、ことの理由は、私には判らないけど。

 

「開放弦属」の楽器の中で一等好きなのが、プサルタリ psaltery。

で、まず思い出すのが Faust のこの曲。

0分30秒目~、左チャンネル。

 

「威風堂々」には、曲としては揺さぶられるけれども、

Wider still and wider

Shall thy bounds be set;

(広く、より広く、国境は画定される)

の、帝国主義植民地主義的な詩(Arthur Christopher Benson 作)、それをみんなで斉唱して盛り上がれるということ(PROMS とか)が、理解できないし、身震いするし、げんなりする。

 

ちなみに、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」107小節目の第1ヴァイオリンに、低い g が出て来る。

 

ちなみにちなみに、G線開放にヴィブラートを掛ける方法。G線を弾きつつ、隣のD線で1オクターヴ上の g のポジションを押さえ、ヴィブラートの動作をする。