ドビュッシーのピアノ曲の謎

ドビュッシーのスタイルを明確に打ち出した「牧神の午後への前奏曲」の完成が1894年。

ペレアスとメリザンド」の作曲が1893~1902年。

歌曲はドビュッシーが生涯を通じて作曲したジャンルで、作風の変遷を追うのに便利なのだが、「ビリティスの3つの歌」が1897年。

 

ところが、ピアノ曲となると、スタイルの確立を見るには、1904~5年作曲の「映像第1集」を待たねばならない。ちょっと甘く見て、「版画」が1903年

(「映像第1集」のうち、第3曲「動き」は、1901年、プライヴェートの場で、ドビュッシー自身が弾くのを、リカルド・ビニェス(「映像第1集」「映像第2集」の初演者)が聴いてるらしいけど)

これは何を意味するのか?

ドビュッシーの創作の核であるピアノ曲で、なぜこうなってるのか。 

しかも不思議なのは、歌曲「ビリティスの3つの歌」のピアノパートが既に「私しんかいが思うドビュッシー」なことだ。

 

ドビュッシーが現れるとエピゴーネンが続出する皮肉。

ドビュッシーの意義はまず何よりも、音楽を包摂しそれを成り立たせてる広大無辺の「音」の世界から、作曲者が「自分の耳」で自由に音の出来事を聴き取ってきて、自由に組織していいのだ、ということを示して見せたことにある筈だ。

ドビュッシーのスタイルを模倣することは、ドビュッシーの意義を骨抜きにすることだ。作品自体の魅力が絶大だから、模倣するなという方が無理ではあるが。

 

ドビュッシーピアノ曲の謎といえば、最大の謎は「亜麻色の髪の乙女」を「前奏曲集第1巻」に収めたことだ。

そしてこの曲が殊更人気曲になってしまってること。

私が「音と香と夕べの空に廻り来る」、前奏曲集第2巻の「オンディーヌ」を掛けてるところに繋いで「私もドビュッシー好きなんです」と「亜麻色の髪の乙女」を掛けられると、どう返していいか、困る。

「ノイズ」

以下、音楽の1ジャンルとしてのノイズ・ミュージックを鉤括弧つきの「ノイズ」と書き、一般的な意味の噪音=ノイズと区別します。

 

この記事 

を、今回言い換えてみます。

 

「ノイズ」とは畢竟「聴き方」なんだろう。

 

私が「ノイズ」作品を聴いた範囲では、例外なくディストーションが掛かってた。

アタッチメントとしてのディストーションを噛ましてるにせよ、過剰なゲインのせいにせよ。

ディストーションの無い「ノイズ」は可能だと思うんだが、というかディストートされてるかどうかと「ノイズ」であるかどうかはまったく別問題だと思うんだが、実例としてディストートされてない「ノイズ」作品が思い当たらない。

 

私がディストーションに意義を見出すのは、それによって、耳を澄ます対象としての、成分の多い、情報量の多い作品を作れる、というただ1点だ。

耳を澄ませば澄ますほど差異の至福で報いてくれる、微細な構造を持つ音楽を、乃ち「ノイズ」と定義できるのではないか。

あるいはそのような能動的な聴き方のことを「ノイズ」と呼ぶのではないか。

 

もっと受動的に、なるべくディストートされてて、なるべくレゾナンスがハウってる作品が「過激で気持ち良い」作品として好まれる、という傾向があるのかも知れない。そういう耳のためには「マッス」で事足りる筈で、私の考える「ノイズ」とは真逆の姿勢だ。

 

あと「ノイズ」を「魂の叫び」的な感情なり哲学なりと結びつけるのはロマン主義で私には理解不可能だ。

なつい

私は「懐かしさ」で音楽を聴くことがない。

曲を聴くことで、その曲が発表された時代を思い出すとか、聴いた時私がたまたま置かれていた個人的状況を懐かしさを伴って思い出すとかということがない。

 

時代ということについては、そもそも世の中に行われる同時代の音楽を知らずに来た。学校に顔を出さず叔母の書斎でアナログ盤に埋もれて過ごしたので。

1970年代のプログレについて「なつい」という感想を持ちようがない。

 

「叔母の書斎で過ごした」という個人的状況はあったわけで、それは記憶してる。でも音楽的情報を聴くために聴くのであって、それ以外の付随物は、情報ではなく、ノイズだ。そこに「懐かしさ」はない。

 

アメーバピグの音楽フロアでご一緒する方々が、そこで掛かる曲について「なつい」という感想のチャットを盛んにお交しになるのを、物珍しさと、羨望をもって、傍観する。

 

 

先日ある方がこれをお掛けになった:

ホルガー・ヒラーがヒンデミットをやってるのを知らなかったのでびっくりした。同時に、ヒンデミットの原曲は私個人的に、叔母の書斎にあったカセットテープでしか知らなかった曲だ。他の演奏を聴いたことがないし、この曲の存在自体をずっと忘れていた。演奏頻度の高い曲じゃないと思う。

そのカセットテープはFM放送をエアチェックしたもので、音源はCDではなく「〇〇放送協会提供」的なライヴ録音だった。タイトルは『ぼくらは町を作る』と訳されてたけど、『町を作ろう』の方が一般的かも知れない。

さすがにつべで探しちまったじゃないか。でも、真っ当な演奏は、これしか上がってない:

十数年越しの、曲との再会。羨望の対象だった「なつい」に近い感想を持った、という話に仕立てたかったが、無理だった。