そうだった。
ここ
で書いた、「長い距離を渡って届いてくるリディアンモードの断片」体験が、これ
の 0'27"~0'42" に反映してるのだった。
「『標題楽』というタイトルなのに標題がない」というツッコミを、今のところ頂いてない。
標題楽ないし描写音楽を好まない、というか解らない、その発想がない、ということは何度か書いた。「標題楽」を「交響曲」「ソナタ」の類のジャンル名として扱う。そこには私の標題楽へのナナメな思いが作用してる。
じつは「7月24日」が隠し標題なのです。友人のお誕生日。
酷暑の大気と、その面(おもて)に送ってよこす涼しさの欠片。涼しさの前提としての酷暑。
ツイッターの「#熱いので涼しげな自作音源晒す」も意識にありつつ。
標題楽は私には不可能、と確認する結果になった。