ペヤング」の名を初めて見た時、「ぺ」だけ平仮名なのだと思った。

何故そう思ったのかは判らない。「ペヤング」という意味不明の文字列から、意味を読み取り可能な「ヤング」がまずひと塊として認識され、そこから「ペ」が浮いた、ということは消極的理由としてあるかも知れない。

いや今でも本当のところは判らないのである。おそらくペヤングさん的に、また世間一般的に、これは疑問の余地なくカタカナであって、随ってペヤングさんから公式に「『ペヤング』の『ペ』はカタカナです」とアナウンスされることも無く、随ってわたし的には、平仮名であるとなりカタカナであるとなり、今に至るも納得していないのである。

 

ふと思い出した。数年前、NHKラジオ第1のニュースのスポーツコーナーで、

「〇〇選手の打率は▯割▯分▯厘で、昨日と変わりませんでした」

という言い方が常態化してるのだった。

とても危険な兆候と思った。

例えば、昨日の「100打数30安打」と今日の「103打数31安打」とは、厘までの値でいうと「同じ」なのだが、この「厘まででいえば」が抜け落ちて、ぎゃくに厘までが同じであれば同じ割合と見做す。

別の事象を持つ現実世界よりも、「3割0分0厘」の数値の世界を優先する、というか数値の世界に住んでいる。「ディジタル思考」すなわち「現実からの乖離」と感じて、危険と思ったのだった。

私は「毛以下の桁まで下りて厳密に」と言ってるのではない。拠って立つ根本の、世界の捉え方の問題。

…えっと、この段落、前の段落とのどういう関連でここに捻じ込もうと思ったんだっけ?

まあいいや。思い出したら追記しよう*1

 

以前、ツイッターで あがさ さんとのやりとりで出来た「ポリプロピレンペレットパーラー!」という言葉に、節を付けてみたことがあった:

f:id:shinkai6501:20180420223509p:plain

*1:追記

ペヤング」の話から入って、フォントの「ぺ」「ペ」の話に移るつもりだったのではないか。

f:id:shinkai6501:20190730124003p:plain

「(ほぼ)同じpixelの配置を取る」ことと「同じ字である」こととは別である。

「打率」「割合」はほんらい「割り切れない」場合が殆んどである。同じ値の表示を「厘までの値が同じ」と呼ぶことと「同じ割合」と呼ぶこととは、単に厳密さの違いではなく、住んでる世界の違いである。

言葉にしろ数・数値にしろ、世界が「拠って立つ根本」なのだ。「『ぺ』だろうが『ペ』だろうが、数値をディジタルに考えようが、実生活上支障がない」という理由で問いを蔑ろにしてたら、いつか必ず足元をすくわれるぞ、と言いたかったんだと思う。