流線型プログレ

私が最初に聴いたジェネシスはこの曲だった。叔母のアソートしたオムニバスカセットテープの中の1曲だった。

ジェネシスって、インストバンドで、作曲よりも音響の実験だったり、疾走するバンドサウンドでありつつやはり音響的なカッコ良さだったりのバンドなのだ、というイメージを形成した。

のちにアルバム "Trespass" "Selling England By The Pound" を聴いて、先のイメージと真逆なのに戸惑いつつ、「本来の」ジェネシスにも魅了された。

ヴォーカリストピーター・ゲイブリエルがフロントで、先ず以て作曲勝負のバンドで。

まったくこの 'The Waiting Room' はジェネシスにあって異色で、3分目からのキーを G に固定しての即興性など、ここからジェネシス本来の特質である変幻自在、微妙で大胆なコード進行や転調を想像するのは無理である。

 

このカセットには「流線型ロック」というタイトルが付いていた。服部良一「流線型ジャズ」に倣ったのだろう。「'The Waiting Room' 3分目~」的な、疾走する「カッコ良さ」勝負で、それが、凝ったコンポジションに優先する、という括りでのアソートと思われる。

ほかに、こんな曲が入ってた:

Todd Rundgren の1975年のソロアルバム "Initiation" から。

B面全部を使った組曲 'A Treatise On Cosmic Fire' は、35分間切れ目なく演奏される。'Intro - Prana' はその冒頭。この動画では編集で4分57秒目から 'Outro - Prana' の終わり部分(=組曲の終わり部分)25秒間が繋げてある。

この曲のコード進行って、モードジャズ由来なのかなあ?

にしてもこの動画、やけにサイケな映像ですねえ。

 

このアルバムは曲によってパーソネルが違う。'Anne Of Cleves' では、Dave Wintour ベース、Mike Egan ギター、Alan White ドラム、Frank Ricotti パーカッション。

これを流線型の括りに加える理由はおもに、6分12秒目以降だと思う。

「疾走感」のためにはブルーフォードよりホワイトだな。

 

アメーバピグの音楽フロアでよく掛けた。「しんかいがパンクとは珍しい」と言われた。

えっ?! Wire ってプログレじゃないの⁇

いつも言ってることだけど、1970年代終わりにプログレの精神を受け継いだのはポストパンク~オルタナだった。UK ではなく。

Wire はそれを判りやすく示す例かもしれない。

↑の Wakeman 曲の6分12秒目~は「グルーヴゆえの疾走感」、この Wire 曲は「グルーヴなき疾走感」。

 

カセット「流線型ロック」はロックと言ってるけど内実全部プログレだった。〆はこのビートルズだった。これもプログレ、と言うか「そうそう、この曲こそ流線型プログレの祖形だよね。この曲を頭のどこかで意識しながらこのカセット聴き進めてたよ」って改めて思う。

Kate Bush "The Sensual World"

こちらの御ツイート

を拝見して即座に思い出したのが、Kate Bush "The Sensual World" だった。

ケイト・ブッシュ中、このアルバムをいちばん好きという人に会ったことがない。

 "The Dreaming" 以降の「同じ位完璧」な3枚のうち、私はこれがいちばん好きだし、「完璧主義を誠実と履き違えた」ケイトの到達点だ。

前2作同様、音を過剰に詰め込んでいても、同時に「無駄な音が鳴ってない」ことを感じる。塵ひとつない音空間。突き抜けた境地の力みの無い「自在な放心」。

前2作も好きだが、放心して涙が流れてしょうがなかったのは "The Sensual World" だけだ。

 

私がこれをいちばん好きなのも前2作を経たうえでの突き抜けた境地と思うからだし、評価しない人も、前2作との比較でだろうし、"The Dreaming" "Hounds Of Love" が途轍も無いのは確かなんだけど。

 

ちなみに実家には "The Dreaming" "Hounds Of Love" はアナログ盤で、"The Sensual World" はCDであった。移行期に当たっていたのだろうか。

 

「塵ひとつない音空間」のために、音質重視で動画を選んだのだが、やっぱりプロモVも貼っておく:

喜び合う

「喜び合う」に違和感を覚えた。

「~し合う」は、AさんがBさんに、BさんがAさんに、相互に同じ行為をする場合に言うのだと思ってた。

励まし合う、称え合う、凭れ合う。

「喜び合う」はこれに当て嵌まらない。この「合う」は多分「同じ行為を共にする」ことを言ってる。「選手AとBが優勝を喜び合う」の場合、AとBの喜ぶ対象は「優勝」で、「相互に」の意味は含まない。AがBを、BがAを、相互に喜ぶ、のではない。

疑問は3つ。

①「喜び合う」が一般に受容されているか。

②「同じ行為を共にする」の意味で「合う」という例が「喜び合う」以外にあるか。

③「相互に同じ行為をする」「同じ行為を共にする」以外の意味で「合う」という例があるか。

 

「喜び合う」を「間違い」として論う*1意図はない。

私は「言葉は生き物」と思ってる。これが私の基本だ。「正解」をひとつ決めて他を「間違い」として排除することはしない。

*1:あげつらうってこう書くんだ。