#実は最初はそうじゃなかったこと

「テレフォンショッキング」は、「笑っていいとも!」で唯一、番組初回から最終回まで放送されたコーナーだが、当初は、少なくとも名目上は、

「ゲストが芸能界に何人お友達を持ってるか試すコーナー」

というコンセプトだった。

電話は「お友達紹介」であるだけではなく「出演交渉」でもあった。事前の打ち合わせ無しに、出演をOKされるか断られるか未知数の状態で「お友達」に電話する。断られたら、別のお友達に掛ける。OKをもらえる相手に辿り着くまでこれを数回繰り返すケースもあった。

タイトルの「ショッキング」は、むろん「ショッピング」のもじりだが、こういう「何人お友達がいるか試す、もしかしたら交渉不成立に終わるかも知れない」スリルを指してもいた。

あるいは、突然の電話=先方に与えるショック、というニュアンスだろうか。

 

…と、以前どこかで読んだのだが、記憶違いがあるかも知れない。Wikipedia「テレフォンショッキング」の項にも「出演依頼を申し込むのがコンセプト」とはあるが、「お友達が何人いるか試す」という文言は見当たらない。

Wikiのその項に、さらに興味深い情報があった:

「元々このコーナーは、司会のタモリが当時大ファンであった伊藤つかさに会うために、ゲストによる“友達の輪”を繋いでいき伊藤をテレフォンゲストに招くことを目的に始まった」

微分音 音高

「(ニュートンが)虹を7色としたのは、当時、7が神聖な数と考えられていたからである。音楽のオクターブもドレミファソラシの7音からなる。ニュートンは美しい虹も7つの基本の色からできているとしたのである」

Wikipedia「虹」)

 

がんらい赤から紫へ連続的に移り変わる虹の色を、ニュートンがむりやり7段階に押し込めた。

 

 

逆に考えると、音の高さだってがんらい連続的だ。

ただ、音階が7つの音からなるのには(神聖云々を別にして)合理的な理由がある。協和する音程を整理して並べると、ダイアトニックの形に落ち着くのだ。

1度(ド)、5度(ソ)、3度(ミ)、5度から見た5度(レ)、5度から見た3度(シ)、4度(ファ)、4度から見た3度(ラ)。

 

 

協和を基礎に考えるとそうなる。じゃあ、微分音を考えるには?

そもそも「微分音」というネーミングに違和感を覚える。オクターヴを12等分する響きに飽きて、新しい響きを求める時に、さらに細かい刻みで等分し直す、という発想から来るネーミング、という印象。

たしかに音楽史を通じて、「協和」はそのインターヴァルを狭くしてゆく方向に「進化」したし、平均律の中で考える限り、それはドデカフォニーで行き詰まる。そこで、例えば「4分の1音」を採用することは、次の「進化」の必然のようにも見える。 

でも見え透いてるよね。

 

4分の1音刻みであれ8分の1音であれ5分の1音であれ、あるいはもっとランダムなものであれ、微分音の「スケール」をひとつ設定して、つまり「外枠」を設定して、それに沿う、というのはつまらない。

平均律の外枠に沿うのと、根本的には同じ。

 

ピッチはスケールで階段的にではなく、連続的に変化するものであるという前提。

 

声部 A のある箇所のノート a があるピッチを取る。

それに対して声部 B のノート b がハモってくる。

その時に、b がピッチを決めるのに、スケールの中での位置付けではなく、a との関係によって、なされる。a に対してどういうインターヴァルでハモるのか。純正3度なのかそれより広めなのか狭めなのか。

その場その場の関係。

 

 

あと、ピッチというものは、和声のためのものであるほかに、倍音として重ねられたり、モデュレイタとして働いたりして、音色を作るためのものでもある、ということ。

 

 

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Phil Miller

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私はフィル・ミラー追悼文を書けるほど彼のことを解ってない。

彼の演奏の録音を、非常にしばしば耳にしてる割に、意識して聴いて来なかった。

今回いくつか彼の演奏を聴き直して、トーンが好きだし、実にセンシティヴなフレーズを弾く、と再確認した。

 

非常にしばしば耳にしてるのは、Matching Mole → Hatfield And The North → National Health のギタリストだったから。

ハットフィールズ、ナショナル・ヘルスは私にとっては「デイヴ・ステュアートのバンド」なのだ。

ギターよりキーボードに興味があるというより、演奏より作曲に興味がある。そしてステュアートの構築的作曲に興味がある。

私個人の好みもそうだし、ステュアートと組むということは、そういうことなんじゃないか。2つのバンドはどちらもキーボードだけで既に曲の構造を作ってしまってて、ギターは「添え物」…というと言い過ぎだが。

ミラーのソロアルバム "Cutting Both Ways" (1987) で好きだったのもステュアート参加曲だった。というかステュアートが参加してるから買ったのだった。とても制覇しきれないカンタベリーの夥しい録音物の中から枚数を限るのに「ステュアート参加」が基準のひとつだった。

ミラー自身のバンド、In Cahoots を私は2枚しか聴いてないが、上述の私の関心に引っ掛かってくる音ではなかった。

 

フィル・ミラーと聞いて真っ先に思い出すのが、この動画の6'30"目、

主題の再現を弾けてない彼

なのが辛い(3'49"目で出を1拍間違えるジョン・グリーヴズとともに)。

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