フランソワ・アンドリュー

ツイッターで #かけがえのない私的名曲 というハッシュタグを見掛けて、一も二もなくこの曲を思った。

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フランソワ・アンドリュー François Andrieu の二重バラード「武人たち、恋人たち/おお、あらゆるメロディの華」。

この曲、この演奏については当ブログで一度書いたが、つべに上がってるのを知らなかった。

マショーの死を悼んで書かれた。2つの声部が同時進行で別々の詩を歌い、最後に「いとも貴なる歌びとマショーの死を」で合流する。アンドリューはマショーの一世代下で、技法も違う人だが、「マショーの死」の箇所だけ、マショー風の和声が施されている。泣かずにいられない。

David Munrow / The Early Music Consort Of London の演奏が、節度をもって、静かに、曲の形を正しく示していて、しかも「詩」が宿っている。深いものを言い当ててる。マンロウにせよ、ガーディナーにせよ、パロットにせよ、こういうのってイギリス人の気質なのだろうか?泣けるのはマンロウのせいでもある。

 

つべで「Armes amours / O flour des flours」で検索すると、けっこういろんなグループが演奏してる。

 

フランソワ・アンドリュー - Wikipedia

マチエール

マチエールは敵。

 

フェルメールで思い出したんだけど、(昔の、しかも聞き齧りで、全てが不確かなんだけど、)彼は砂を含む絵具を使ってて、『デルフトの眺望』の画面の煌めきもその質感に拠るところがある、と聞いてがっかりしたんだった。

私の好んだ彼の画面の煌めきが「描かれた」ものではなかった、絵の具の質感に頼ったものだった、と。

 

絵の具の特性を知りコントロールし駆使すれば、それは作者が「描いた」と言っていいのかもだけど。

 

にしても私は何にがっかりしたのだろう?2つの点だと思う。

①マチエールに頼ることへの不服

風景を色の要素の並びに還元し、その並びを画面上に再現することが「描く」ことだ。マチエールに頼ることはその手続きをサボることである。

②技法の統一・純粋を貴ぶ立場から

フェルメールの絵は概ね①のやり方で描かれてて、時によって絵具のマチエールにも頼る、という技法の「不純」。

 

という時、比較対象として、一つの理想として、思い浮かべてるのは、スーラ。

だからフェルメールよりスーラが好き、とはならないんだけど。

 

省みて、私は音色を倍音合成で作るわけじゃない。PCM音源の音色を使ってる。そこは卑怯だなと思う。

昨夜の夢

昨夜の夢はいろんな場面があったけど、結局最後だけ憶えてる。

「♪花に生まれて~」

という歌い出しの歌を

「♪花で買われて 薬で使う」

と替え歌にして笑うシーン。

花屋でふつうに合法的に(但し大量に)買った花を自宅で精製して麻薬を作る、という意味。

続けて、市販のものを本来とは別の用途で使う、という替え歌のヴァリエーションいろいろ考えた気がするが、忘れた。

 

原曲のメロは、歌い出し(上掲の歌詞の部分)が『蘇州夜曲』の「♪君がみ胸に」に、続く箇所が『柔』の「♪思えば負けよ」に似てた。夢の中ではみんな知ってる前提の有名曲だったが、目覚めてググっても該当曲は見つからなかった。

 

そういえば、燃料用アルコールを私は拭き掃除に使ってる。

叔母がカセットデッキのヘッド掃除に使ってた。わたし的には「メタノールの用途」の第一義はこれだ。

ひとり暮らしを始めた時、実家から1本くすねて来た。

1回の使用量がごく少ないので、500mlひと壜を使い切る日が来ることを想定してなかったが、今日がその日だった。

今回買ったのは、メタノール95%、エタノール5%というもの。

香りが違う。洋梨か何か、果物の香りがする。エタノールの香りなのだろうか。