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最初に買ったCD

音楽 プログレ

私が自分で買った最初のCDは、ストラヴィンスキーペトルーシカ」ブレーズ/クリーヴランドか、King Crimson "Starless and Bible Black" か、どちらか。

私はプログレのCDをあまり買わない人だった。叔母の書斎でアナログ盤を聴いて過ごして判った気になってたし、メジャーどころに対しては、熱意のピークと、自分でCDを買い始めるタイミングとがずれていた。何を隠そうクリムゾンは "Starless and Bible Black" と "Lizard" しか持ってない。

"Starless and Bible Black" のCDのエディションが何種類あるか知らない。私が買ったのは(いま手許に無いので不確かだけど)1990年代初頭くらいにフリップ御大御自らリマスターした、当時「決定盤」と目されたものだと思う(もう1人、共同作業者名がクレディットされてた気がする)。 

 

このアルバムについても私はアナログ盤で馴染んでた。なのでリマスターには違和感を覚える点が、2つ、あった。 

①ノイズリダクションの行き過ぎ。ライドシンバルの減衰のしっぽがフッと立ち消えになり、'We'll Let You Know' 前半のような静かな箇所でこれが目立つ。 

② 'The Mincer' の終わり方。

この曲は最後、演奏続行中の「テープ切れ」のように、一瞬音像が揺れて強制終了する。この終わり方が積極的にかっこいいのに、リマスターでは、ここにわざわざリヴァーブが掛けられている。誤魔化すように。「テープ切れ」が消極評価の対象であるかのように。

というか、「テープ上にリヴァーブ処理を含むミックスが録音されてる」場合と「リヴァーブの中にテープ再生がある」場合とでは、「テープ切れ」の音楽的意味付けが全く違ってくるではないか。

前者の場合は、「テープ切れ」によって、演奏、録音、ミックス、の「全てが終わる」。

後者の場合は、「テープ切れ」含めて「テープ演奏」として扱うからこそ、そこにリヴァーブを掛ける。フリップは「全ての終わり」の中にいて諸共に消されるのではなく、「全ての終わり」という「作品」の外にいて、これを管理する。

この曲はアナログ盤でいうとA面ラストの曲で、この曲の終わり方が乃ちこの面の終わり方。

  

このエディション以前の、アナログ盤と同じマスターのCDは無いのか?と Discogs を見ると、どうやら最初のCD化は1987年で、これが私の求めるものなのかも知れない。まあ総合的に見てリマスターの方が優れてるにちがいないけど。

  

↓これは、いつのエディションか判らないけど、私の聴きたかったのと同じ終わり方だ。

www.youtube.com

 

 ↓これが私のCDと同じリマスターかな?

www.youtube.com

  

 クリムゾン中このアルバムだけ買ったのは一番好きだから("Lizard" は 'Lady Of The Dancing Water' を耳コピする必要から買った)。

以前アメブロでも書いたけど、私は『宮殿』、ことに「エピタフ」が嫌いだ。

①陳腐なコード進行を

②4×4×4の硬直した尺の大枠の中で

③白玉コードで埋めて

④繰返す

⑤情の

音楽。

つまり私にとって最も縁遠い「叙情派シンフォ」の元祖にして典型。

叔母の書斎で、プログレの名盤を、それぞれの独自の創意にびっくりしつつ聴き進んで、『宮殿』に行き当たる。でも「まとめ過ぎ」でワクワクしなくて、以来今に至るまで、ピンと来たことがない。

  

関連記事:

shinkai6501.hatenablog.com

小さな羊飼い

音楽 クラシック

むかし武満のドキュメンタリーでワンシーン、印象に残った。

仕事場で、難しい顔でピアノに向かって作曲する武満。

響きを探り当てようと鍵盤をまさぐる指が、おもむろにドビュッシー子供の領分』第5曲「小さな羊飼い」の一節を弾きだす。

笑ってしまった。

なぜ笑ったか。武満の曲調や作曲態度のシリアスさと、可愛い「小さな羊飼い」とのギャップ、ということもあるが、もうひとつの別のことを思い出したからだ。

 

「小さな羊飼い」第19~20小節。

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(画像を継ぎ接ぎしたのでスラーの書かれ方が不自然です)

篠山紀信のヴィデオディスク作品「シルクロード 光と風と音」に武満が付けた音楽を抜粋・編集したアナログ盤(田中賢作曲含む)が実家にあった。その中の1曲中に、この2小節の引用と聴こえる箇所がある。

このメロディは、メシアンの「移調の限られた旋法」第2に沿っている。ドビュッシーメシアン~武満の系譜を集約的に見る思いだ。

件のシーンで、これを思い出したのだった。響きをたずねるとき、立ち返る拠り処というのがあるのだ、と思った。

 

ツイッターでフォロー申し上げ、ひそかに思いを寄せる レイ / あゆみ 氏の御ツイートに、返信差し上げたことがある。

ドビュッシーは「耳」だった。音組織について最も敏感な「耳」。

だが「分析」を「神秘を冷然と殺すもの」として好まなかった。

 

私「ビートルズの 'Getting Better' いいですね!XTCみたいで」

K氏(元・早稲田ビートルマニア会長)「逆だ」

というやりとりなら昔あった。 

 

ところで 'The Little Shephard' を「小さな羊飼い」と訳すのは、正しいだろうか?

「羊飼いの少年」ではないか?

 

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いろいろ記憶があやしい

音楽 クラシック プログレ

私の記憶だと、ストラヴィンスキーラヴェルは一緒にシェーンベルク「ピエロ・リュネール」(1911)の譜面を目にし、両者とも「いかん!」となり、ストラヴィンスキーは「3つの日本の抒情詩」(1913)を、ラヴェルは「ステファヌ・マラルメの3つの詩」(1913)を書いたのだった(いま改めてググると、譜面を見たのは「音楽評論家カルヴォコレッシ邸で」らしい)。

 

最近読んだ別の記事によると、ストラヴィンスキーはベルリンで実際に「ピエロ・リュネール」を聴いている。「いかん!」となって「3つの日本の抒情詩」を書いた。

ラヴェルストラヴィンスキーから「ピエロ・リュネール」の話を聞き、また「3つの日本の抒情詩」を弾いて聴かされ、「いかん!」となって「ステファヌ・マラルメの3つの詩」を書いた。

 

www.youtube.com

Schoenberg 'Moon-Drunk' & 'Night' from "Pierrot Lunaire" Op. 21

Marianne Pousseur, Pierre Boulez / Ensemble InterContemporain

 

www.youtube.com

Stravinsky ”Three Japanese Lyrics"

1. Akahito ; Акахито ; 赤人

2. Mazatsumi ; Мазацуми ; 当純 

3. Tsaraïuki ; Tcypайуки ; 貫之

Susan Nairicki, Robert Craft / Twentieth Century Classic Ensemble

 

www.youtube.com

Ravel "Trois Poèmes de Stéphane Mallarmé" 第2曲 'Placet futile'

Jill Gomez, Pierre Boulez / BBC Symphony Orchestra

実家にこのアナログ盤

www.discogs.com

があり、曲によってBBC交響楽団だったりアンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーだったりで、「マラルメの3つの詩」は私てっきり後者と思ってたら、Discogsによると前者。

 

アルゼンチンのバンド Factor Burzaco のこの曲(2014)は「ピエロ・リュネール」を下敷きにしてる。

www.youtube.com