クリップボードの使い方を憶えたので Spotify を貼る。
Flamborough Head "Tales Of Imperfection"(2005年)では、この 'Higher Ground' が好きだった。ギタリスト Eddie Mulder 作曲のインスト曲。
当時の私の情報源はもっぱらユーロ・ロック・プレスだった。ディスク・レヴューのページで「シンフォ」の項をスルーしてたのは「音として好みのタイプじゃないから」ではない。
「プログレッシヴ」とは。「考える」とは。
「考えている」あいだは有効である。「考えた」ことは無効である。
考えを踏み台にして次の考えに進む現在進行形のプロセスだけが「考える」である。
踏み台として作る煉瓦に作品としての美を見出し鑑賞してはならない。
「シンフォ」は音としてのタイプというより、シンフォという「聴き方」、踏み台たる煉瓦を作品として鑑賞する「態度」を指す言葉なのだ。
いっぽうで、依怙地は罪である。料簡はつねに最大に自由に保っておかねばならない。あるとき思い直してシンフォの項に目を通した。感覚が瑞々しそうなのを見繕って3枚買ってみた。
Quidam の 1st.(2007年 2CD エディション)と、Mostly Autumn のライヴ盤には、聴くべき内容をどこにも見出せなかった。「この人たちいったい何をしたいのか?」は罵り言葉ではなくて、文字通りに、本当に判らなかった。
およそ創意の無いコード進行やリズム・パターンの反復を聴くと、シンフォって狭義には「響きや雰囲気の持続が設えてあって、『聴く』というよりもそこに『浸る』もの」と定義できるんじゃないか?と思う。
そのあとだったので、次に聴いた Flamborough Head "Tales Of Imperfection" には相対的に好感をもった。演奏の丁寧さと、刺戟的でないミックスの感じに、まずもってほっとした。
就中 'Higher Ground' には「造形」がある。「浸るべき響きや雰囲気の持続」じゃない。何かに「似てる」というのは無礼だし、大きな意味は無いけど、Focus(同じオランダの、というのもあまり意味が無いけど)とか、Genesis というか Hackett 'After the Odeal' を私は思い併せる。
見繕った3枚がどれも女性ヴォーカルなのは、偶然。あと、私は「フランバラ・ヘッド」と表記します。そこは依怙地です。