写真編集の禁則

禁則を設けておかないと。

スマホカメラ(写真)の「編集」で、トリミングと、傾きの修正は、使わない(今まで使ったことがない)。

フレーミングは、「撮る」現場でアングルとピンチ・インの倍率を工夫して作るものだし、傾きは、修練で正せる。

こだわりどころなぶん、編集段階でのこれらの修正を自らに許してしまって、現場での「センス」が鈍るのを、警戒する。

 

「瞬間のシャッターチャンスを捉えるもの」としての写真の場合は逆に、構図の甘さや傾きは、そのまま放置で気にならない。「造形」としての写真についての話。

 

たしかに「アスペクト比」については、自由が欲しいと思うことがある。余計なものを写り込ませないために。

というかそもそもなぜ画面は長方形じゃなければならないのかとすら思う。積極的意味は無くて、むしろ「制約」としてある。制約が自由を生むことがある。俳句の「五・七・五」みたいなもの。

 

それで連想するのが、Anthony Green の絵。

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長方形のカンヴァスではなく、不定形の板に書かれた油絵。1点ごとにフレームの形が違う。

なぜそうなるのか、ご本人がおっしゃってたのは、

「何か大事なシーンを思い浮かべる時、それは決して四角くない筈で、そのシーンが要求する必然的なフレームの形がある」

というふうなことだった(記憶曖昧、不正確な引用)。