Oskar Schlemmer

バウハウスの校舎というとまず、ヴァルター・グロピウス設計のデッサウ校が思い浮かびますし、この建築自体がバウハウス思想の権化です。

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合理主義、機能主義は、バウハウスの14年間の歴史の中で徐々に強まって行ったもので、当初はモダニズム一辺倒ではなかったようです。

設立は1919年、ヴァイマルで。初代校長はグロピウス。

「予備課程を担当していたヨハネス・イッテンの方針から、初期の教育内容は、合理主義的(機能主義的)なものと表現主義的(神秘主義精神主義的、芸術的、手工芸的)なものとを混合していた」(ウィキ「バウハウス」)

1922年にカンディンスキーが招聘されます。彼の構成主義や、オランダのデ・ステイルモンドリアンの新造形主義や、テオ・ファン・ドゥースブルフの要素主義)に感化されたグロピウスは合理主義・機能主義への指向を強めます。グロピウスとイッテンの間に対立が生じます。

1923年、イッテン退任。後継はモホリ=ナジ・ラースロー。

1925年、デッサウに移転。

1928年、2代目校長にハンネス・マイヤー就任。全てを規格化・数値化・計量化し、合目的性・経済性・科学性を徹底。

バウハウスの前身のひとつとして、ベルギーからヴァイマルに招かれたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの工芸学校があります。彼はドイツ工作連盟に参加しますが、作家個人の芸術性を重視する彼は、規格化を重視するヘルマン・ムテジウスと対立し、1915年ドイツを去ります。

工芸学校を引き継いだのがグロピウスでした。この工芸学校の校舎はヴァン・デ・ヴェルデの設計です。アール・ヌーヴォーに造詣の深い彼でした。

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この校舎が、1919年設立当時のヴァイマルバウハウスの校舎としてそのまま使われます。

これがデッサウ移転でグロピウス設計のモダニズム建築に取って代わられ、バウハウスが合理主義を徹底してゆく中でイッテンが去る。

 

ここで気になるのが、オスカー・シュレンマーです。彼って、どういう立ち位置だったのか?

彼の「トリアディッシェ・バレエ」は3部構成「おどけた道化芝居」「荘厳で祝祭的な舞台」「神秘的で幻想的な舞台」だったといいます。

「祝祭的」?「神秘的で幻想的」?

「シュレンマーのバレエに秘められている、未来へのメッセージ、その魅惑的な謎はいまだに解けてはいない。今日バウハウスを機能主義一辺倒の生産工房としてとらえる見方から離れて、ダダ的な、祝祭的な要素、シュルレリスムへの影響や先駆、有機的で、そして何より、地球環境的な芸術志向を、バウハウスが持っていたことが、注目されている」(ウィキ「オスカー・シュレンマー」) 

シュレンマーがバウハウスで教鞭を取ったのは1920~1929年、「トリアディッシェ・バレエ」の初演は1922年。音楽はヒンデミットだったようです。

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この映像作品は1970年の復元。「芸術顧問」として Ludwig Grote と Xanti Schawinsky(バウハウスでのシュレンマーの教え子)、Tut Schlemmer(オスカーの未亡人)がクレディットされてます。

音楽は Erich Ferstl。Discogs では German film score composer となってます。

 

《トリアディック・バレエ》オスカー・シュレンマー

artscape.jp

 

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1:00:49 目からの「ソニー ビデオテープ」の CM 4本、音楽は誰だろう?

 

あれっ?と思ったのが、規格化のムテジウスが、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツから大きく影響されていた、という件です。「産業と芸術の統一」がそのキモなのでしょうが、モリスのは「手仕事」のイメージで「工業デザイン」とはむしろ対立するようにも思えて、私の脳ミソにはややややこしいです。