センテンスの長さ

「センテンスを短く」は基本だけど、場合による。

 

当ブログでいちばん長いセンテンスは、たぶん、この記事の第3連だ。

shinkai6501.hatenablog.com

 《私がそれなりに熱心にプログレの情報を追っていた(≒ユーロ・ロック・プレスを読んでた)のは数年前までなので、最近は違うのかも知れませんが、日々飽きもせず量産される新バンドを評価するのに、まずクリムゾン的とかフロイド的とかGG的とかのパラメータがあって、それらを各何割ずつ含むかが即ちそのバンドの個性、みたいな風潮が強くあって、評論家が、言葉で音を紹介する便宜上そうなるのはまだしも、アーティストの側までそれに沿って発想するケースが多い印象でした。》

222文字。

 

長さ故意味を取りづらいとは思わないし、長さには何らか必然があった筈。

この連はメインの論旨じゃない。論旨は第2連で尽くしてて、第3連はエピソードだ。

論旨は端的に尽くす。取りこぼした「思い」はエピソードにこそ籠める。

強い思いを、しかし一気に、片す。この場合センテンスの「数」を多くする方が却ってまだるっこくなる。

 

要は、句点を入れようが入れまいが、「構文を見えやすく、追いやすくする」こと、読み手が頭の中で内容を整頓しつつ読み進められる構文になってるかどうかのチェックを怠らないこと、そのためにつねにセンスをフレキシブルに保つこと、なので、「センテンスの長さ」というこだわり方に心がけを固定してしまってチェックが機能不全に陥っては本末転倒だ、ということ。

170文字。やはり殊更に長くしようとして長くなるものじゃない。

 

次に長いのはこれの11段落目かな。

shinkai6501.hatenablog.com

《「ちがう」を wrong の意味で使い得ても、「ちがわない」は、焦点鋭く not wrong と訴えるよりは、これと not different の両方を含む語であり続けて、否定のベクトルが食い違ってるし、強さとしても、ストレートな「私は正しい」のほうが、彼らの気持ちに適ってるのだが、「ちがう」の語を示されればこの「ちがう」自体を否定形にして返すのが、自然な感情でもあり、反論の正道でもあって、つまり適当な語が存在しない。》

スペース含め211文字。

 

この場合も動機は「一気に片したいから」。