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ちがくない

(2016-08-25 記)

 

 

「ちがくない」。

 

動詞を(おそらく連用形が「~い」なのを形容詞に見立てて)形容詞の形に活用させる例は、「ちがう」以外に思いつかない。

ワ行四段活用の動詞の連用形は必ず「~い」(問い、歌い、疑い)なのに、なぜ「ちがう」だけにこれが起きるのか?

 

まず、「ちがう」が動作ではなく状態を表す、つまり役割的に形容詞に準ずるから、は理由になるし、これでほぼ説明を尽してる。

 

でも私は他の要因もある気がする。

 

幼児が「ちがう」に「ない」を付けて否定形を作る時、「ちがくない」と誤るのは、ものすごくよくあると思う。

場面として、彼らが「ちがくない」と発話するのは、「ちがう」と指摘され、それに対して異議を申し立てる時だ。

この「ちがう」は different ではなく wrong の意味で、「あなたは間違ってる」という批判だ。

これに対して、強い、性急な感情を以て「私は正しい」と言い返す場面。

「ちがう」は否定形ではないが、意味としては、彼らの正しさの否定で、この否定への否定「ちがわない」は、彼らの強い感情を引き受けるには、力が足りないし、なんかズレてる。

「ちがう」を wrong の意味で使い得ても、「ちがわない」は、焦点鋭く not wrong と訴えるよりは、これと not different の両方を含む語であり続けて、否定のベクトルが食い違ってるし、強さとしても、ストレートな「私は正しい」のほうが、彼らの気持ちに適ってるのだが、「ちがう」の語を示されればこの「ちがう」自体を否定形にして返すのが、自然な感情でもあり、反論の正道でもあって、つまり適当な語が存在しない。

このストレスの存在が、「ちがくない」を生むのに、なにがしか作用してないだろうか?

 

「ちげえよ」も「ちがい」を形容詞に見立てて強意と粗暴を加えたスラングだけど、これが「ちがくない」ほど一般に行われてるか、知らない。

発生としては「ちがくない」が先で、これが下地になって「ちげえよ」が可能になった、と見てるが、どうか。