日記

私は少年。ショッピングモールまで出掛けて、帰途に就くが、ワゴン車が路側帯を塞いで駐車してて通れない。と思ったらそれは柵で、くぐって通り抜けられるかな?と思うが、柵の向こうに工夫(こうふ)が1人いて、通れない、と言う。ショッピングモールの一画が、特定の企業の施設で、さっき建設工事中だったから、そのエリアの一辺を今別方向から見てるのかな?と思う。

迂回を試みるが、向こう側に抜ける道がない。交番の敷地に入り込んで揉めたり、いつのまにか道ではなく住宅の裏庭で、フェンスに遮られたり。私と同世代の少年少女が数人。他人の敷地に無断で入り込んでる罪悪感より、積極的に彼らに話しかけて助けを求める気持ちが優先する。

自分が辿った経緯をくどくど説明することはせず、「簡単に言って、私は1丁目1番地に行きたいのだ」と言う。

「それは簡単じゃないか。地図で判る」

「いやその簡単な事が出来なくて困ってるのだ」

ここから以後、「目的地ははっきりしてるが、ルートが判らない、邪魔が入って辿り着けない」という外的な状況の話が、私の心の病気の話に置き換わる。

考えや行動を、積み上げて、先へ進む、ということができない。あるところまで考えて、その都度チャラになって、考えが断片のまま。シジフォス的*1

「2日前に家を出て、帰れないでいる」

お風呂にも入らず2日経ってるので彼らに失礼かもと心配する。彼らは協力的で、私の直面する状況について、「てんかん」(もちろん現実のてんかんとは全く違う症状だけど、ここでは私の症状がこう呼ばれる)の発作として、小学校の教科書にも載ってた、と指摘する。そうだった。診断が下ると、いたずらなパニックからちょっと解放される。

歩き続けているのは、帰り着こうと試みているのか。途中、あるキャラに出会う。かつてTVで共演していたキャラなので、解決に結びつくやりとりを期待するが、まず彼に私を思い出してもらうところからやらねばならないようだ。

*1:追記

記述が暫定的に過ぎた。夢の中で味わった感覚のいちばん大事なポイントは、陥ってる心のトラブルを正確に記述するのが難しいこと、仮に言語化出来ても、それが何故パニックなのかをリアルに理解してもらうことが難しいこと。結局同じ体験を持つ者にしか共有できないこと。