下書き放出

3つの下書きは相互に無関係です。 

 

Fulano については、こちらのチャンネルに、全アルバム上がってます:

拙記事:

 

 ② 

"Tales From Topographic Oceans" には2003年リマスター以来2分間のイントロが付きますが、私が最初に聴いたのはそれ以前の、いきなりヴォーカルから始まるヴァージョンでした。

このアルバムを評して「出だしがお経みたいで戸惑った」というのを時々見掛けます。マイナス評価のニュアンスで。私はまさにそこに打たれ、アルバム開始いきなり引きずり込まれたのだけど。イエスに、ロックに、そもそも何を求めてるのかが違うのだから、話が嚙み合わないこと、このアルバムが不当な評価を受けてること、も宜なるかなと思います。

 

建物内、壁に設えられた火災報知器とか、設備として置かれた消火器とか。

その建物がもし美術館だったら、それらの設備は設備であることをやめて「鑑賞の対象」すなわちアート作品になってしまう。

床に書かれたチケットカウンターの待機列のマーカーが、そこが美術館であることによって、インスタレーションとして鑑賞されてしまう。

美術館という空間は、ものが用途から自由になってものそのものであれる場所。ものに「美」を感じるのは、ものがものそのものである時。

アンプで鳴らしてマイクで録りたい

昔、宅録の一環として、

ピアノ(アップライト)の天屋根を開けて、その上にスピーカを下向きに=ピアノの内部空間に向けて置き、

曲をそのスピーカで鳴らし、

ダンパーペダルは踏みっぱなしにしておき、

マイクをピアノの内部に吊り下げて録音する

というのをやってみたことがある。

つまり「ピアノの全ての弦を共鳴弦として使う(ピアノを「弾く」ことはしない)」というアイデア

 

録音は手許に残ってないし、印象にも殊更残ってないのは、いまいちピンとくる結果を出せなかったからだと思う。かそけき音の出来事をヴィヴィッドに捉えるためには、機材の性能も、セッティングの工夫も、及ばなかった。少なくとも当時はそう判断した。

ただ、現行の、ゼロワンくんの中だけで完結して、現実空間の空気を振動させるプロセスが無い、空気を通すのはイアフォンと鼓膜の間の外耳道の中だけ、という環境が、いかにアーティフィシャルで、閉じてて、いじれる要素が限定的で、響きが貧相で、自由の無いものであるか。↑のアイデアは、今のこの環境では設定しようのないパラメータ、挟みようのないプロセス。そこには豊かさがあった筈。

アンプで鳴らしてマイクで録りたいけど、どちらも今手許に無い。

ジャケ買い

Renaissance 'Northern Lights' の歌メロって Rick Wakeman "Journey To The Centre Of The Earth" のパクリじゃないか? 既に言われてそうだけど。

これの 0'16"~と、

これの 3'09"~。

今さらですみません。私は Renaissance*1をあまり知らない。というか知り得た曲からさらに深く知ろうという気が起きにくい。

でも "Sheherazade And Other Stories" はジャケ買いしそうになった。ペルシャのミニアチュール風のジャケ絵。 

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ジャケ買いで思い出した。私のセンスは間違ってるのだろうか?

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Campo Di Marte "Campo Di Marte" (1973) から。

内発性が好ましい。

*1:2つの Renaissance、Illusion、Renaissance Illusion、Renaissant、Annie Haslam のソロ、など、どれも。