約7秒間の自由

ベト5を初めて聴く者は、7小節目に至るまで、この曲がハ短調と判らない。

冒頭

「ダダダダーーーン!ダダダダーーーーーン!」*1

は d、es、f、g で出来てて、この4つの音だけからではこの曲のトニック「c」を想定出来ない。

 

逆に、この曲を1度聴いた者は、もうこの4つの音が「ハ短調の第2,3,4,5音」にしか聴こえない。7小節目に至るまで c は出て来ないにかかわらず、否応なくそこに「ハ短調」を聴いてしまう。

 

初演でこの冒頭が鳴らされ、7小節目に至るまでの約7秒間、世界は自由だった。

 

調性的に宙づりの出だし、というとまず思い浮かぶのは無論ヴァーグナートリスタンとイゾルデ」だけど、先例があります、という話。ベートーヴェン侮れない。

 

ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」の出だしの調性的宙吊りが「トリスタン」の影響じゃない筈はない。主題が、この曲の調「ホ長調」のトニック上で奏されるのは、ようやく21小節目、主題の3回目の提示の時*2で、この時すでに主題は音価を変えられてる。

たいていの音楽はブレーズの演奏をお薦めしておけば間違いない。ドビュッシーも「遊戯」「海」についてはそう。

これが「ノクチュルヌ」「ペレメリ」そしてこの「牧神」となると単純に割り切れない。

「牧神」については、私個人の結論ははっきりしてる。モントゥー/LSO だ。

生身の人間が、これだけの大人数、せーので音出して、こんな磨かれきった響きを出せるなんて、奇跡だ。しかもそこに詩情が漂い、色の光のつぶつぶを纏う。

つべにはモノラル盤が上がってる。てかこの動画を聴くまで、この録音にモノラルミックスがあるのを知らなかった。

同じ演奏が、ステレオであれだけ色彩的で、モノラルだとモノクロな印象になるのは、何故だろう?

*1:8分休符のフォントの出し方が判らない

*2:2回目の提示時(11小節目)の調はニ長調

何が可笑しくないんだ?!

友人A:(ファミリーイレブンお客様相談室の電話番号を押しながら)コンビニのおにぎりって指示通り「下に引く」しても細い帯状に口が開くだけで、そこからどうやっておにぎり出せっつーの。

しんかい:セミの羽化なら1本のスリットからセミ出てくるね。器用なもんだよね。

友人A:ねー。

お客様相談室の人:お電話ありがとうございます。ファミリーイレブンお客様相談室、担当の〇〇でございます。

友人A:(〇〇さんに)ちょっと!おにぎりはセミほど器用じゃないんだけど!

 

 

アライグマくんがアライグマくんのおとうさんの破天荒な人となり*1についてぼのぼのに説明する件で、

「笑わないと怒るしな」

と語り、絵が、

アライグマくんのおとうさんが額に怒りマークを作りアライグマくんを殴りつけつつセリフが「何が面白くねえんだ!」

のコマがあった。

 

笑われた時は「何が可笑しいんだ?!」と抗議するけど、なぜ私のネタはスベる、という以前にスルーされるんだろう?

これがウケない理由がまったくわからない:

*1:アライグマとなりと書いたら意味を取れなかった

禁じ手を設ける

「〇〇(楽器名)使ってます」はウリにならない。と前回書いた。

「〇〇使ってません」はウリになるだろうか?

 

というとロック聴者がまず思い浮かべるのは、Boston の 1st. アルバムの但し書き

No Synthesizers Used

No Computers Used

だ。

私は Boston よく知らないので、「音色の多彩さがギターのエフェクト類によるものなこと」を言ってるのだと思ってたけど、それ以上に、作曲、演奏、ミックス含めて殆どショルツ氏ひとりでやってること(他人の手になる作業もショルツ氏の指示通りなこと)、膨大な作業がすべて手作業なこと、が重要なようだ。

 

私はあと、YAS-KAZ「縄文頌」が、すべてアクースティックの打楽器類だけで作られてる、シンセ使ってない、のに驚いた。

 

これらはウリになるし、創作の、発想の契機、態度の根本にかかわることとして、「禁じ手を設ける」ことには意味がある。

 

「シークエンサ使ってません」な人力テクノとか。

 

私が KORG01/WFD 1台だけで作業するようになった経緯は昔アメブロで書いたけど(今はない)、つまりはそれしか使い方知らないし、手近にこれしか機材が無いからです。ウリにならない。

関連記事:

shinkai6501.hatenablog.com

「KORG01/WFD(ハードシンセ)1台の中で全工程を完結させることは、美学ではない。怠慢だ」

「ぜろわん君1台でここまでやってスゲエ、とは思う。いっぽうで、機材刷新でクリアできることはさっさとクリアして、そのうえでの創意に進め、とも思う」