(04月20日「郵政記念日」のブログネタに応えて)
「この広い野原いっぱい」(曲:森山良子、詞:小薗江圭子、歌:森山良子)を、1コーラス目、2コーラス目だけで知ってて、「『あなたにあげる』、ってそもそも花も星も君のものじゃない」と皮肉な感想を持ってた。
ある時「ラジオ深夜便」でフルコーラス聴いた。4コーラスあった。4コーラス目の最後の最後に、オチが待っていた。びっくりして、どっと泣いた。
「だから私に 手紙を書いて」
この広い野原いっぱい咲く花、この広い夜空いっぱい咲く星、この広い海いっぱい咲く舟、この広い世界中のなにもかも、ひとつ残らずあげる、その対価として要求するのが、たった1通の手紙。
たしかに、1通の手紙は時として、人の心を、命を、救う。
(Vodník について)
「チェコ 河童」でググると、こちらの御記事がいちばん上に出ました:
河童については、
「アマールカ」
チャペックの「カッパのはなし」
の例が挙がっています。
そのほか、ヘルミーナ・ティールロヴァーのアニメ「サンゴのおはなし」からの画像が美しいです。「クルテク」の画像も。
チェコの河童は「ヴォドニーク Vodník」。
ドヴォルジャークの「水の精」もこれらしい。
スラヴ語圏には各地に同様の「水の妖精」がいて、ロシアだと「ヴォジャノーイ」がこれにあたるようです。
セネシオ氏の御ブログ記事。ヴォドニークが題材のチェコの児童文学作品の紹介。
カレル・チャペック「カッパの話」からの引用
ヨゼフ・ラダ「おばけとかっぱ」の紹介、図版あり
ボフミル・ジーハ作、ヤン・クドゥラーチェク絵「おかしな結婚式」の紹介、図版あり
(04月21日「民放の日」のブログネタ「子どもの頃に好きだったテレビ番組、教えて!」に応えて)
『トゥトゥアンサンブル』は、音楽を音楽そのものとして理解させるスタンスじゃなかった。
「音楽の森」のセットは美術として美しかったし、
リコーダーの神さまの樹「トゥトゥトゥリー」が聳えてたり、音楽の妖精「ララ」がいたり、という設定と相俟って、
森の奥深さと神秘を感じさせたし、ぶっちゃけ私は魅了されてたけど、
そういう付随する道具立てで子どもの関心を惹きつけることは、音楽理解の邪魔でしかない。
音楽そのものが内に持つ魅力をどう判らせるか、就中どう「体感」させるか、について E テレで唯一正しかったのは、野村誠の『あいのて』。
子どもが自分の耳で音楽を「発見」するように仕向けてた。
『トゥトゥアンサンブル』も、「教則」の狭さを脱しようとしたんだろう。でも却って音楽から逸れた。『あいのて』は、「教則」によって見えなくなる音楽の「本来」を探り当ててた。
『トゥトゥアンサンブル』のセットに惹かれた、というのはつまり、手づくり感、アナログ感が好き、ということだったんだろう。
ヴァーチャルスタジオに居心地の悪さを覚える体質だった。
「民放の日」なのに NHK の番組しか挙げてない…