「真逆」という語に批判的な方がいらっしゃる、という情報を齎して下さった方に感謝です。そのことを知ったうえでの私のスタンスですが、「真逆」は、私の意味しようとするところを正しく表す語なので、今後も積極的に使います。
ググってみて、納得できる批判理由に出会えなかったのは、ら抜き言葉の時と同じです。お気に召さない方がお使いにならないのは大変結構ですが、正しくないとか乱れてるとか、他人にまで「使うな」とか、言う筋合いはないです。
私の「日本語がどうあるべきかを問うとは」について書いておこうとしたら、すでに一応書いてました:
つまりは、
日本語がどうあるべきか考える事はもちろん大事な事です。言葉が時代とともに変わるのは当然といっても、私が嫌うのは、自らの日本語について無自覚・無責任な故に流されてしまう事。ら抜きの是非とか論ずることが正しい日本語を考える事じゃない。
— 新海智子 (@coccyx_T) October 21, 2012
「正しい」の理由を安易に「慣習」に求めない。何故「がの」「をの」という助詞がないのか、疑問に思ってみる。だって「君の夢」じゃyour dreamかa dream of youか区別がつかない。「君がの夢」「君をの夢」って言えたら便利なのに、「正しい」日本語と認定されない不合理。
— 新海智子 (@coccyx_T) October 21, 2012
もちろん私だって、自分の話す一語一語について語源を深く理解し語義を厳密に弁えてるわけじゃないけど。大事なのは、一方では、それぞれの単語やフレーズの背負ってる歴史を出来るだけ深く知ろうとする態度。他方では、一旦論理学的にとことんまで突き詰めて、コンヴェンションを排除してみること。
— 新海智子 (@coccyx_T) October 21, 2012