今年最後に書く

私はアイヌを「知的好奇心の対象として見る」ことから逃れられない。

それがあらゆる場面で悪というわけではないのかも知れない。でも、それが当事者の命を危険に晒すことがある。

当事者。生きることが、生存を脅かしてくる者との戦いにならざるを得ない立場の人。好奇心で関わるとは脅かす側に立つことだ。生身の人間の生に優先する好奇心なんて、学問なんて、あるわけがない。

何が一番大事か見失わなければよい。本来とてもシンプルなことの筈だ。それがもし出来ないなら、私の意識の根本に間違いがあるからだ。

私は簒奪する側の和人だとか、現状を漫然と生きることは簒奪のシステムに与することだとか、立派な意識のようだけど、赦しを願うことだってつまりは私のエゴだし、現に邪魔をし人の命を危険に晒すなら、関わるな。