弥生ついたち、はつ燕、

(2015年3月01日、記)

 

3月1日のうちに書いておく。

 

安部譲二氏についての私の唯一の記憶はインタヴューのシーン。

いつどこで見たものかも忘れたし、番組の前後の流れも判らない。

ただ1つのエピソードが印象に残っていて、かつそれ自体私の記憶の中で大幅に改変されてる可能性がある。

 

氏のおっしゃるには、少年時代お兄様の書斎の本を読み漁ったなかで、上田敏の『海潮音』が強烈だった。

ボードレールがショックだった。

 

私の印象に残ったのは、腑に落ちなかったからだ。

海潮音』の中でボードレールは中心ではないし、ボードレール翻訳史にとっても、上田敏は、デカダンスの訳出に十全を尽してるとはいえない筈だ。

氏が「ショックだった」とおっしゃる訳業がそこにあるとは思えない。

要するに永井荷風の『珊瑚集』を待たねばならないのだ。

 

ダヌンツィオの清明と開放と高揚の「燕の歌」で

 

弥生ついたち、はつ燕、

 

と歌いだす『海潮音』を、おそらく氏は、『珊瑚集』とお取り違えになったのだろうと、TVの前の私はツッコミ衝動に駆られたのだった。

1篇目が出合頭にボードレールの「死のよろこび」の『珊瑚集』はたしかに安部少年に相当のショックを与えるに違いない。

 

死のよろこび シャアル・ボオドレエル

 

蝸牛(かたつむり)匍(は)ひまはる泥土(ぬかるみ)に、

われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。

安らかにやがてわれ老いさらぼひし肉を埋(うづ)め、

水底(みなそこ)に鱶(ふか)の沈む如(ごと)忘却(わすれ)の淵に眠るべし。

 

われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。

死して徒(いたづら)に人の涙を請(こ)はんより、

生きながらにして吾(われ)寧(むし)ろ鴉をまねぎ、

汚(けが)れたる脊髄の端々(はしばし)をついばましめん。

 

あゝ蛆蟲(うじむし)よ。眼(め)なく耳なき暗黒の友、

汝(なれ)が為めに腐敗の子、放蕩(はうたう)の哲学者、

よろこべる無頼(ぶらい)の死人(しにん)は来(きた)れり。

 

わが亡骸(なきがら)にためらふ事なく食入(くひい)りて、

死の中(うち)に死し、魂失(う)せし古びし肉に、

蛆蟲よ、われに問へ。猶も悩みのありやなしやと。