真逆

「真逆」という語に批判的な方がいらっしゃる、という情報を齎して下さった方に感謝です。そのことを知ったうえでの私のスタンスですが、「真逆」は、私の意味しようとするところを正しく表す語なので、今後も積極的に使います。

ググってみて、納得できる批判理由に出会えなかったのは、ら抜き言葉の時と同じです。お気に召さない方がお使いにならないのは大変結構ですが、正しくないとか乱れてるとか、他人にまで「使うな」とか、言う筋合いはないです。

 

私の「日本語がどうあるべきかを問うとは」について書いておこうとしたら、すでに一応書いてました:

 

つまりは、

じゃがアリゴ(じゃない)


shinkai6501.hatenablog.com

 

後半②、じゃがアリゴについて。

《「丼を別に用意する」とか「鍋を使う」とかやりだすと、味の向上は図れるかもだが、じゃがアリゴとしては邪道、というかすでに別料理だ》

 

じつはやってみたのですけどね。理路がとっ散らかるので省略してました。

水1カップを鍋で沸騰させ、じゃがりこ1個投入、30秒くらい。

じゃがりこの形がしっかり残ってるところに、予めさいておいたさけるチーズを、散らしながら入れる。じゃがりこの上に薄く広く敷き載せるように。15秒くらい、というか見た感じ溶け始めたら、丼に移して撹拌。

 

この方法の利点。

じゃがりこの戻し加減をコントロールできる。

②チーズを散らして入れることでダンゴになるのを防げる。

③丼はじゃがりこカップよりも広いためにやれることがある。

ⅰ.混ぜやすい。液状の段階でもこぼす心配がない。

ⅱ.嵩を増やせるので、(私の好きな)小ネギなり万能ネギなりを加えられる。

 

この方法の注意点。

溶けたチーズが鍋肌に触れるのを極力避けねばならない。触れると必ず貼り付き、こびり付く。

 

この方法の矛盾点。

ここまで手間を掛けるんだったら、真っ当な食材を使って真っ当な料理をすればいいんじゃないか。

まあもともと私は、料理についお菓子を入れてみたくなる子だった。チャーハンに「ベビースターラーメンおつまみ」(ピーナッツ入ってるやつ)とか「なげわ」(「ポテコ」ではなく。断じて!)とか。それがしかも「残り物利用」ではなく、お菓子を買う時あらかじめ「料理用」予算枠を設けたり。

当然、「ポテチを戻すとじゃがいもになる」ことも把握してて、スープに投入したりしてた。

 

 

追記 2019年03月19日

 

結論①

鍋で作業することで、どのくらいの時間煮たら、じゃがりこが戻り、チーズが溶けるか、目視で判った。

また、じゃがりこ、チーズそれぞれの投入のタイミングを別々に出来る。それぞれの加熱時間をコントロールできる。

記事「作る」では「(鍋を使わずふつうにじゃがりこカップに熱湯を注ぐ正規の作り方において)チーズを十分に溶かす必要があるので加熱を短縮できない」と書いたが、鍋で作ってみて、むしろ逆に、チーズはすぐに溶ける。じゃがりこを戻す方が時間が掛かる。

なので、まずじゃがりこを鍋で5割方戻して、チーズ投入後早めに、目視で溶けを確認したらすぐに、丼に移す。鍋で加熱中も丼に移した後も、基本、混ぜない。せっかく散らして入れたチーズが、混ぜることでダンゴになる。

 

結論②

じゃがアリゴにおいては、チーズの扱いのコントロールが難しい。

そして、私は「さけるチーズ」があまり好きじゃない。ほぼ食べたことがなかったが今回判った。歯ごたえが特徴なんだろうけど、その歯ごたえが好きじゃない。

なら、じゃがりこだけお湯で戻して食べてればいい。「じゃがいもを揚げたスナック菓子をお湯で戻してじゃがいもにする」は、書いたとおり、もともと私のレシピにある。本稿は、「じゃがアリゴ不要論」に帰結するのだった。

Rock Magazine と『炎』

ピンク・フロイドの日本盤は、『狂気』まで東芝EMI、『炎』からCBSソニー

 

阿木譲 Rock Magazine の功罪。

ロック雑誌といいつつ、ロックを核に、他の音楽ジャンル、文学や美術、思想まで、多分野をカヴァーしてた。ここでしか読めない=初邦訳の記事もあった。ただ、誤読、誤訳、誤字の多い「素人仕事」でもあったようだ。

阿木の関心事、例えば「神秘主義」「呪術」などのタームのもと、本来別文脈のトピックを牽強附会して特集記事を組むなど。ものものしい虚仮威しの先走り、思い込みの空回りは、端的に「文化人コンプレックス」「松岡正剛ワナビー」の為せる所だったかも知れない。

よくある「嗅覚先行」と「自己顕示」の結び付き。

 

でも、"Wish You Were Here" に『炎』という邦題を付けたCBSソニーの担当者に阿木譲自ら詰め寄ったインタヴュー記事ひとつを以て Rock Magazine は不滅だ。

以下、例によって、手許にその号の現物も、関連資料も無く、記憶だけが頼りで、その記憶が覚束ない。引用は全て不正確です。

CBSソニーの担当者曰く、

「だってこれまでも『狂気』とか、原題とは違う邦題だった、それを踏襲しただけ」

驚愕すべきことに、"The Dark Side Of The Moon" が何故『狂気』と訳されるのか、理解していなかった!

東芝EMI石坂敬一氏は、アルバムをきちんと聴き、きちんと理解し、作品への敬意とアーティストの意図の尊重を最優先に、邦題を決めた筈である。the moon はそのまま lunatic に繋がる。じっさい 'Brain Damage' の歌詞にこの lunatic という語がストレートに出てくる。アルバム世界を正確に理解すれば、むしろ『狂気』はこれ以上有り得ない的確な邦題である。

CBSソニーの担当者が「踏襲」したのは、「字数の少ない漢字のタイトル」という、最も瑣末な点だけ。そもそもピンク・フロイド自身が「邦題は『あなたがここにいてほしい』で」と指示して来てるのにかかわらず、これは副題にされてしまう。

インタヴューでは、挙句、

「タイトルが違うせいで内容が違って聴こえるようなら、作品の側の不備」

とまで言ってのける。

そしてどうやら「ロック」と「ロックンロール」の区別すらついていない。「ロックすなわち生(せい)」である阿木にとって、決定的に許せなかったにちがいない。

 

1970年代、80年代の評論家には、個性の強い方が多い印象。

ロック愛が強烈なぶん、アーティスト本人の意図を正確に紹介するのよりも先走って、自らの思い入れをゴリ押しし、空回りする、阿木譲とか、岩谷宏とか。

CBSソニーの担当者が「アーティストへの愛が無いが故にアーティストの意図を蔑ろにする」のと真逆に。

 

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