しぎ・チドリ氏のブログ『砂漠の音楽:エジスト・マッキ』

 

遠くの音源から、長い距離を渡って届いてくる物音は、必ず美しい。

私も子どもの頃のある時期、夕方の定刻にチャイムの音色で「家路」が流れ出す土地に住んでた。

 

引っ越して来て耳にし始めのしばらくの間、これが「家路」だと気付かなかった。冒頭のトニックの楽節が聴き取れず、途中のサブドミナントに進んだ箇所、メロでいうと

「ラーードドーーーシーソーラーーー、ラードーシーソーラーーーーーーー」

の楽節だけが、大気のフィルターをかいくぐって、くっきりと聴こえた。

そこだけ聴こえたから、サブドミナントと思わず、トニックと聴きなし、

「ミーーソソーーーファ♯ーレーミーーー、ミーソーファ♯ーレーミーーーーーーー」

すなわちリディアンモードに聴こえ、魅了された。

曲というより、8小節の長さの断片。

ドヴォルジャークの原曲も好きだけど、この時の体験は、オーディオで原曲を聴くよりももっと大切な、もっと「音楽的」な、体験だった。

 

エジスト・マッキ「砂漠の音楽」、私は初めて知った。

ご教示ありがとうございます。

たしかに、

「レミソミレ」

の音形を介して「家路」と融通し「すり替わる」。

 

追記的関連記事:

高低差

前回書き忘れましたが、

実際の地形でも「高低差」が好きです。

坂にせよ、断崖にせよ。

これは取りも直さず「位置エネルギー potential energy が好き」ということです。

 

作曲態度における私の最重要キーワードは「ポエティック poetic」です。

密度。目覚ましさ。低エントロピー状態。メリハリ。瞬発力。

これを何故ポエティックというのか、咄嗟には判りづらいかもですが、「プロウジー prosy」の逆、といえば納得頂けると思います。

「のんべんだらりが嫌い」つまり「高低差」への好みと同値です。

 

ポエティックを極めた実例は Naked City "Torture Garden" ですが、私は勝手に、その大元を King Crimson 'The Great Deceiver' に見ています(むしろヴェーベルンかもですが)。でもアルバム "Starless and Bible Black" 所収のスタジオ・ヴァージョンのつべが、すぐ削除されるし、オフィシャルにも上がっていません。

 

追記(2023年09月30日)始め

今はオフィシャルに上がってます。

追記終わり

 

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