遠くの音源から、長い距離を渡って届いてくる物音は、必ず美しい。
私も子どもの頃のある時期、夕方の定刻にチャイムの音色で「家路」が流れ出す土地に住んでた。
引っ越して来て耳にし始めのしばらくの間、これが「家路」だと気付かなかった。冒頭のトニックの楽節が聴き取れず、途中のサブドミナントに進んだ箇所、メロでいうと
「ラーードドーーーシーソーラーーー、ラードーシーソーラーーーーーーー」
の楽節だけが、大気のフィルターをかいくぐって、くっきりと聴こえた。
そこだけ聴こえたから、サブドミナントと思わず、トニックと聴きなし、
「ミーーソソーーーファ♯ーレーミーーー、ミーソーファ♯ーレーミーーーーーーー」
すなわちリディアンモードに聴こえ、魅了された。
曲というより、8小節の長さの断片。
ドヴォルジャークの原曲も好きだけど、この時の体験は、オーディオで原曲を聴くよりももっと大切な、もっと「音楽的」な、体験だった。
エジスト・マッキ「砂漠の音楽」、私は初めて知った。
ご教示ありがとうございます。
たしかに、
「レミソミレ」
の音形を介して「家路」と融通し「すり替わる」。
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