”長くない(巻数が少ない)けど、面白いマンガ教えて”

(2016年1月21日、お題「長くない(巻数が少ない)けど、面白いマンガ教えて」に沿って)

 

 

いがらしみきお『BUGがでる』全1巻。

 

 

われわれはわれわれの歴史に、鑑賞される「作品」というより、ゴリゴリの「コンセプト」をそのまま提示しそれ自体としてとことん突き詰めてみせる、ということをいったんやって、しかるのち表現の花園をどっと展開して読み手(聴き手)の鑑賞欲をすっかり満たす、という例を、3つ持っている。

谷川俊太郎の『定義』のあとの『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』。

エッグの『ポライト・フォース』のあとの『シヴィル・サーフィス』。

そしていがらしみきおの『BUGがでる』のあとの『ぼのぼの』。

 

(『ぼのぼの』は目下39巻既刊で今も連載が続いてるようです)

 

(改めて調べると『BUGがでる』と『ぼのぼの』の前後関係は微妙ですが、『BUGがでる』所収のある作品のコマの片隅に気紛れに登場させたラッコを主人公にして『ぼのぼの』が始まった、と聞いた気がします)

 

『BUGがでる』と、吉田戦車の『伝染るんです』を、同時期に読んだと記憶する。

伝染るんです』の方が盛大に笑えて、口惜しかった覚えがある。

でもマンガの「方法」を頭良く使ってるのはいがらしのほうで、仕掛けだけで笑わせてしまう。

吉田はオーソドックスなネタ勝負のギャグ漫画という印象だった。

 

私がマンガの「方法」について意識的になったのはもちろん高野文子『絶対安全剃刀』を読んだ時。

ひとつ憶えてるのは、横長の1枚の人物の絵を3つのコマに割る箇所。

そうすることで、見る者の視点が、右から左に流れる。

コマ割りとはすなわち時間の経過なのだと気付かされた。

 

当時私はあるマンガのアイデアを思い付いた。

マンガ作品の中で時間をどう経過させるか、いつ端折りいつ停滞させるかは、ふつう作者の意図のまま、というかそここそがマンガ表現なのだと言い切れそうだが、私が思い付いたのは、コマ割りを絶対時間によって、たとえば1コマ=5秒と決めて、描くこと。

画力が無いのでアイデアで終わったが。

 

私はリアルタイムでは一條裕子『わさび』、松田洋子『薫の秘話』の世代だが、松田はネタ内容と、ネタをこれでもかと詰め込み畳み掛ける密度で、猛烈に笑えるけれども、これは必ずしもマンガでなくても、小説または論文でも可能かもしれない、一條は、まさにマンガでしか表現できない世界で、いがらしや高野の後継者、という印象を持った。

『わさび』の帯には高野文子の推薦文が載ってた。

 

でも結局私のいちばん好きな漫画は、ランブール兄弟の『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』です。

全1巻で、お手頃です。