目の上のたんこぶ2つ (T.Sasaki)

今日(14日)は Windows の更新インストールの日なので世の中の流れが滞り、外が静かだ。日本海で低気圧が発達して南風の音ばかりする(関東地方で春一番は無かったみたい)。海はすこし遠いけど、浦波が、夜でなくともごく近く聞こえて、類例無くファニーな、千葉市某区でのヴァレンタイン。

古文は高校までの学校で読まされた以外知らないが、そのうち、源氏物語「須磨の秋」の、 

琴をすこしかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて 

のくだりが印象に刻まれた。

神経を抉る音楽を書きたい。そのヒントを《「いとすご」き琴の音》のくだりにたずね、でも上手くいかない。

soundcloud.com

こいつが形にしてしまってた。これの 0'42"~1'23" は、私が欲しくて手に入れられない「いとすごう」だ。少なくともそれを示唆してる。

佐々木は曲の骨格を、ピアノではなく、ハープで作ることが多い。

 

ゴーシュの「印度の虎狩」は、読者の頭の中にあるあいだは、三毛猫をはねあがらせる。

アニメ化で具現すると、力を失う。

でもそう言われればなおさら、意地でも形にしてやる、と思う。

soundcloud.com

こいつがやってしまってた。

そいえばこの曲UPするのこれが初めてだ。

当人に「虎狩音楽」の意図は無いから、こんなサムネ付けたら怒るだろうけど。

「緩徐楽章が未完なので別のもので埋めておいた」とある。1'25"~1'42"のダウランドがそれ。

 

 

この記事を書くにあたり「いとすごう」でググった。その時「糸洲壕」が出て来た。

恥かしながら私はこれを知らなかった。

pilgrimageokinawan.blogspot.jp

「てぃんがーら様のブログより引用させていただきました」とあるのは、こちらのようだ:

blog.goo.ne.jp

#2tail

トーラスとドーナツは似ている。

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実は、音としてはともかく、意味としては、トーラスは形状、ドーナツは機能・用途なので、並べて「似ている」とは言えない。「トーラス形のドーナツ」があり得る。

思い併せるのは「棒のようなもの」だ。実際にニュース原稿で聞いた表現。

バールのようなもので抉じ開け、拳銃のようなもので脅し、棒のようなもので殴る。

このうち「バール」「拳銃」は「機能」なので、見た目について「のようなもの」と言い得る(見た目は拳銃だがライターかも知れない、バールの形をした木管楽器かも知れない)が、「棒」は「形状」なので、「棒のようなもの」は「棒」だと思う。

 

 

ペアリングとベアリングは似ている。

私とペアでベアリングを指にはめてくれるオシャレでピーター・ハミル似の男の子募集してます。

 

理想的な語彙を頭の中に構築出来ない。

語彙は意識的選択の結果じゃないし、贔屓のライターが使う語は無批判にパクったりする。

 

私は今手許に本、CDがほぼ無い環境にいて、当ブログはいつも、不確かな記憶と、賢人ググレカスの助言だけで書いてる。『ルイス・キャロル詩集』も無い。

 

私は「めっぽう」という語をふつうに使う。

ルイス・キャロル詩集』の中に「The Last Earing 最後の耳つねり」というノンセンス詩があった。誰の作だったかのロマンティックな詩「The Last Earring 最後の耳飾り」のパロディ。友人から、先生の猫にインクを一壜掛けたら◯ポンドやる、と唆されて実行し、先生から耳つねりを受ける。友人のもとに報酬を求めに行くと「めっぽうわめいたじゃないか」と言われた、みたいな内容だった。

のだが、ウェブを探しても見当たらない。私の記憶も曖昧。

なんしろ、これが私の「めっぽう」の出典。

 

語彙だけでなく、「考え」についても、自前と思ってるものが、意識的に学び選び取ったのではないたまたま小耳に挟んだ一言に基づいてたりして、怖い。

 

 

桐生市足利市」と「ルーマニアモルドヴァ」は似ている。

「ひなまつり」と「ひまなつり」の似方は「ひつまぶし」と「ひまつぶし」の似方に似ている。

暇や時間を「潰す」という表現が嫌いだ。

ただ、内藤濯訳「星の王子さま」に頻繁に出て来る「ひまつぶし」は、全く別物だ。誰かのために時間を掛け手間を掛ける、というような積極的な意味だった。

モルドヴァの旧名「モルダヴィア」とヴルタヴァのドイツ語名「モルダウ」は似ているが、関係あるのだろうか?

#ウエルシア 「健康を商う企業として終了」のお知らせ

最近ウエルシアで「ウエルシアグループアプリ」を宣伝する店内放送が流れてる。

男の声で終始一貫わめくやつ。

印象としては、ほぼ四六時中そればかり流れてる、という頻度。

さっき、流石に苦情が殺到して中止になったにちがいないとの期待のもと、数日振りに行ってみた。変わってなかった。

あの苦痛のせいで来客数減ったんじゃないか?誰得??

 

私のような音に対して鈍感な者でさえ居たたまれない。

発達障害の方の中には、聴覚が過敏な方がいらっしゃると伺う。比喩ではなく「居たたまれない」、好き嫌い・快不快のレヴェルの問題ではなく、あの放送のせいで入店すらできない方々がいらっしゃるのではないか?

ドラッグストアとして人の健康に供する商品を扱うグループが、そういう方々の存在へのふつうの想像力を持たないことが怖ろしい。

発達障害の方々を排除したいのだね。来るな、ということだね。

「『お客様の豊かな社会生活と健康な暮らしを提供します』という企業理念」(2016年9月1日 ウエルシア薬局株式会社*1 代表取締役社長 水野 秀晴 「社長挨拶」)の「お客様」に発達障害の方々は含まれないのだね。

私はもう行かない。私自身苦痛だからだし、企業理念を無にしたことにがっかりしたからだし、いろんな立場の方への想像力の無さが怖ろしいからだし、ウエルシアさんにはどうか、ドラッグストアやる資格が無いから廃業して頂きたい。

*1:私は「ウエルシア」と「ウエルシア薬局」の関係を判ってない。筋違いだったら御免なさい。