Inagaki katsuhiko @tas3cdw 氏が、札幌市 円山原始林のお写真を11点連続ツイートなさっていた。
— Inagaki Katsuhiko (@tas3cdw) 2017年8月3日
そのうちのひとつ:
ここは開拓前の植生が残されている。いかに豊穣な地であったか。 pic.twitter.com/rZmLKyZvp1
— Inagaki Katsuhiko (@tas3cdw) 2017年8月3日
ここに「残されている」=ここ以外からは「失われた」。
「開拓」が植生の豊饒を損うこと、それが「北海道の地で」行われたことは、同時に、その豊饒を基盤とした先住民アイヌの生活・文化を損なったこと。
アイヌでも、開拓民の子孫でも、その後の時代に北海道にお移りになった方々でもない、本州に住む私が、どこまで意識を鮮明に持てるのか。
開拓民の子孫の方々の複雑な意識の中には「痛み」もあって、 それは道内道外問わず和人が等しく引き受ける筋のものだ。
というか現場に関与せぬままに収奪に与った罪こそ重い。
若かった頃の自分には見えなかったもの。 pic.twitter.com/ds8avNByca
— Inagaki Katsuhiko (@tas3cdw) 2017年8月3日
初め理科的興味で連続ツイートを拝見し始めたのだが、これは歴史の問題だった。