続・ever changing

「望遠レンズを使うことによって『圧縮効果』を得られる」という言い方は確かに誤解を生む。

被写体の像の大きさを同じにするためには、望遠は標準より遠くから撮らねばならない。

そのことによって得られる効果があるが、これは遠くから撮ることによる効果で、望遠を使うことによる効果ではない。同じ距離から広角で撮ってトリミングしても、望遠と同じ圧縮効果がある。

むろん普通にカメラアイ(フォトアイ)をお持ちの方々は、それをわかったうえで「望遠の圧縮効果」と仰ってるのである。

 

とにかく、私は、アイドルのグラヴュアにしろ、望遠で撮った写真が好きだった。

被写体=アイドルを見るためではなく望遠の質感を見るために、グラヴュアを見ていた。

空気が、あるいは空間が、水みたいに「みっちり」になる。

正射図法的に限られた視野と、浅い被写界深度によって、余計なものを写り込ませず、「何を撮っているのか」が明確になる。

アイドルファン目線の言い方をすると、「望遠で撮る=凝視する」で、被写体=アイドルとの関係が濃密になる。

 

 無限遠から見た図法といえば、アメーバピグの世界がそうだ。

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このキューブは、

(あ,1,ハ)にあるのか、

(い,2,ロ)にあるのか、

(う,3,イ)にあるのか、

区別がつかない。

ピグワールドでは「デコ」を高さ方向に積めないのが難点なのだが、ピグの図法のこの特徴を利用して高さを「見かけ上」表現なさる方が時々いらっしゃる。

 

それもそうだし、手法としても、アーティスティックな着想としても、斬新な方というのはいらっしゃる。

 

私はごく穏健に「街らしい」街を描くしか出来ない。

手法もマニュアルどおりだし、その場の感覚を頼りに「美」を探るだけだ。

「有機的」でありたいとは思ってる。

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有機的たり得てるかなあ?

ever changing

 この過去記事

shinkai6501.hatenablog.com

 の時点の全景は、これ

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でした。

 

この時「左端は水族館、植物園などを使って造成中」だったのが、今時点のこれ

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左上方向にのばした文教と住宅

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右下方向にセレブの住宅

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右上にルーラル

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公共施設はチップ回収目的のためだけに設置したし、一隅に押し込めてたし、街並が未整理でしたが、道路を若干延長しました。 

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どの街区も開発途上だし、常に変わり続けることこそ「ピグワールド」の(私にとっての)本質です。

 

インした時のアバターの出現位置はここ

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バスケットボールコートも一面あります。

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お前のチクワはダサい

 この過去記事:

shinkai6501.hatenablog.com

これつまり「連濁」の話なんですが、「連濁が起きる時そこにどういうストレスが働いているか」の説明の試みで、そのストレスが掛かれば必ず連濁するということではない、と記事内でもお断りしました。

 

とはいっても、ここでいう2つの条件、

①子音が前後を母音で挟まれる

②当該音節にアクセントが置かれる

は、連濁の場合に限らず日本語ではつねに起きていることです。

じっさい、連濁をそれだけの問題として取り上げるより、それに隣接・類似する現象とともに一般化して、統一的に考えるべきなのではないか?

つまり、強音節の無声音が有声化する例、逆に弱音節の有声音が無声化する例、は連濁に限らずふつうにある。

「じてんしゃ」が「じでんしゃ」、逆に「ブロマイド」が「プロマイド」、両方を含む「ほとんど」が「ほどんと」、のような。

(ある世代以上には「デパート」を「デバート」とおっしゃる方がある、と聞いたことがありますが、私はその例に出会ったことはありません。)

 

「ほとんど」については、標準語でこの発音がいちばんメジャーであることが、むしろ謎です。

この語は「ほとほと」の転訛です。

転訛が起きるのは、その方が発音しやすいから、だと思うのですが、だとすれば、「強拍/弱拍」が「有声/無声」に正しく対応する、つまり発音しやすい「ほどんと」に流れるのが自然だと思うのです。なぜ「ほとんど」が選ばれたのか?

「くらびと」が「くらんど」になることと共通の現象なのか?

 

 

さいきん Windows7 起動時に「System Event Notification Service に接続できませんでした」エラーが頻発するようになりました。これまでもごく稀にありましたが(5年間でたぶん2回)。

ネットには解決方法の記事もありますが、私に読解力はありません。

「ようこそ」の前に「お待ちください」が長時間出るようになったこととも、関係があるのでしょうか?