「サヴァンとは何か」がテーマで一貫してるけど、何についてそれを検証してるか、対象がいつのまにか次々にスライドしてゆく夢。
絵について論じてたつもりでシームレスに曲についての話に変わってたりで、覚醒時のロジックで記述~解釈すると、細部やニュアンスのみならず、根本テーマの意味までもが、イミフになったり、捉えきれなかったりする。
でもなんとかメモっておく。
①
子ども時代からの友人(画家)とのやり取り(手紙の往復?)の中の彼女の絵画作品について、褒めるつもりのポイントをひとつ素通りしてしまってた。彼女の「サヴァン性」について。
克明と如実が、「記憶」においてそうなのか、「再現」においてなのか。
②
あるマンガ作品かヴィデオ作品(ストーリーをもつ。作者はすでに①の友人ではない誰か)の伏線設定、そこへのメッセージの籠め方が泣ける。これについての、第3者の「ここが泣ける」という指摘。猫(黒猫)親子が生き残らなかったことを示唆するとか、これが世界全体の崩壊の中のひとつのエピソードとして(象徴として)置かれてるとか。
「作品内容が泣ける」という話が、いつの間にか「制作のプロセスが泣ける」という話にスライドする。読者からのリクエストをひとつ作品に取り込み忘れてたのを、どう巧みにリカヴァーしたかの話で、右腕を切り落とすことで達成できた点の再現のために、右腕をもう一度切り落とす、作者の「腕はどうせまた生えてくるから」というコメントが「泣ける」という話になってる。ものを作る者はものを作るためにはいかなる犠牲もこともなげに受け容れる、というエピソード。
作品についてのエピソードが作品になってるメタ構造。
③
ノウルシ(バンド)の、とある曲におけるサヴァンの話。強弱のアーティキュレイションを、「記憶しててすごい」のか、「再現できてすごい」のか、あるいは「打込みのヴェロシティの「数値」として記憶しててすごい」のか。クラヴィのリフ・パートの出だしの1音のヴェロシティの値「106」がいかに必然的で意識的な「弱い」設定であるか、亜_皐さん(ツイッターの相互の方)の指摘。
④
ノウルシから Avalon 期 Roxy Music の話にスライド。この偏執狂的に完璧なアーティキュレイションは、しかしあるいはインスト・パートについてで、Ferry のヴォーカル・パートは別?
ノウルシ登場については、こちらの御ツイートを拝見したことが直接に影響してる:
ノウルシの配信限定EP
— タジリシュウヘイ(ノウルシ Vo/Gt.) (@shuhei_t_) 2022年10月20日
『Prototype Human: Nearside』
個人的に傑作だと思っているので、是非たくさんの人に聴いていただきたいな。
踊れるリズム、ひんやりした空気感、実験的なサウンドメイク、時代性を反映した歌詞。
色々な楽しみ方ができる作品だと思うので🧬
pic.twitter.com/YphdyXwkFg