ドビュッシー『プレリュード第1巻』第4曲

これの 2'14"~、なんでモード勝手に変えてる(d を dis に変えてる)んだろう?

(この曲ピアノなればこそ可能な曲なんじゃないの?という根本問題は置いといて)

オーケストラ・アレンジは Peter Breiner による。そのオケアレンジ譜がこう書かれてるのか、指揮者の読み間違いか、どっちだろう?と思ったら、前者でした:

最初の小節だけ赤丸で囲みます。以下同様です。

オリジナル、ドビュッシーのピアノ譜:

最初の小節だけ赤丸で囲みます。以下同様です。

 

ツィメルマン、美しいけど遅い。件の箇所は、2'28"~。

遅さは、耳を澄ます速度、なのかな。

 

ミケランジェリは、厳しい。2'28"~。

 

私がしばしばドビュッシー『プレリュード第1巻』第4曲(「音と香と夕べの空に廻り来る」)に言及するのは、私の唯一弾けるピアノ曲だから。

ある声部の長音が、ピアノだから減衰してゆくわけだけど、その上に別のメロの断片なり音形が重なってくる。その時、それを和声のセオリーで捉えると有り得ない不協和だったりする。もし持続音で重ねたらその不協和が如実に判るところを、アタックと減衰で出来たピアノの音でやると、セオリー的には捉えどころが無いけど、響きとして現に美しい。聴感上成り立ってる。

音を重ねるのに、セオリーで意味づける響きではない、具体的な響きそのものを素材に考えてるのでなければ有り得ないやり方。

 

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