こういうのについ反応してしまうのは、これ自体の佇まいと、あとパイプや配線の先にフレームの外への繋がり広がりを示唆するのが面白いからなんだろう。
見る度に形が変わってる。
カメラを構える間にドポンと音がして、もう1匹いたのが逃げてった。
瓦礫を見るとパレスティナやシリアやウクライナを思ってしまう。一般市民を攻撃してよい理由、大義名分はどこにも無い。
あるもののエントロピーが大きいことは、かつてそれが小さかったことによってしか示せない。瓦礫は建材だったのだし建物だった。
以前、ある方の、大きな建物の解体現場をお映しになった御ツイートを拝見して、解体は破壊と違って「壊す」ではなく「片す」なんだなと当然の事を今更思った。新しい建物を建てるために、古い物を他所に移すのに一番効率的な方法が小さく砕くことなのであって、壊すこと自体が目的じゃない。作業に秩序があり手順がある。見てると壊すカタルシスも感じてしまうけど。