メモ

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画像と本文とは無関係です。


例えば「音楽は感情表現の手段である」というこじつけの言説を、人はどういう機会に聞かされ、なぜ鵜呑みにするのか。

単に「それはこじつけだ」と言挙げするんじゃなく、いちど検証してみる必要がある。

こじつける心理、それを鵜呑みにする心理の元々に「音楽と感情とを結び付けたい欲求」があるのだろうか? 結び付けることで頭の中の何かの片が付く、そのことで先に進める、ということがあるのだろうか?


感情と音楽とのあいだに如何なる関数も存在しない。そもそも音楽はそれ自体が存在の目的であってそれ以外の何かを表現するための手段ではない。


自分と縁遠い物事については解像度が下がる。幽霊と妖怪と魔物とが「正体の判然しないもの」として同一視される。ほんらい対義語である「義理」と「人情」とがごっちゃになる。

ある方々にとって、音楽と感情との関係は、これに近いのかも知れない。


加えて、「何か尤もらしいことを言いたい欲」というものがある。いうべき内容を内に有たない者も、何か言いたい欲求は標準装備されてる。これが、言説をものする理由、それに飛び付く理由、だろうか? 


音楽における、これに類するこじつけの言説が他にもある気がする。思い出したら書くかも知れない。