中2(文字通り)の私にとって、ロックは、オトナを軽蔑するとか自分がオトナになることを恐怖するとかの思想だった。
自分に自信があったのではなく、自分の貧しさ幼稚さからっぽさには焦ってて、でもその焦りを「人生経験、実体験」で克服することは「きたない」ことで、というかそれは克服ではない、という感覚。
経験によって思想を豊かにしてゆくことは、そのじつ頭の中に草(ドクサという名の)を繫茂させることで、それを豊かさと称して慰めを得てるのだ、と。
ということは、私の前提にあったのは、真理というのは、本来元々持ってるもので、ヒトはそれを忘れてしまってる存在で、それに還ってゆくことが道なのだ、ということ。
真理へは、経験によって近づいてゆくのではない、経験によってヒトは本来元々から外れてゆく。
経験に基づくオトナの言葉には説得力がある。反論するとアオさを嗤われる。
説得力があるからこそ、この威圧から頑なに、私の真理を守らねばならない。これが私のロックの思想だった。
前回
「「知恵が付くこと」と「素であること」とは、矛盾するのか、しないのか」
と書きながら、思い出してた。