単語の意味を、私が取り間違えてた例を、ふたつ。
I. 「生産性」
過去記事からの引き写しです。以下。
生産性の対義語は、非生産性でも破壊性でもなく、創造性だと思う。
作曲における生産性って判らない。生産性のための作曲という発想は存在し得ない。
生産性のために排除されるものがまさにイコール作曲がやってることと言って大きく間違ってない。
生産は「同じ物をたくさん作る」だ。その唯一の目的のために効率を最大にし、工程を規格化する。
生産された物は、「用途」に沿って消費される。
作曲能力は創造する力だ。生産の役に立たない、というか関わりようがない。
以上。
production を creation の対義語と見ればこうなる。
ところが最近、「そもそも生産性とはどういう目的で生まれた、どんな言葉だったのか」についてのこの記事を読んだ:
「生産性が言葉として確立されたのは、1950年ごろ」のヨーロッパ
「生産性運動は戦争復興をきっかけにして始まっている」、その「目的は『国民の生活水準の向上』」にあった
日本での生産性運動は1955年ごろから。ここにおいても、
「いかに資源・労働力・設備を有効活用して生産コストを下げるか」
「市場の拡大・雇用の増大・実質賃金や生活水準の向上」
の2点に注力していた
と。
今は、このうち「生産コストを下げる」という目的だけが生き残ってるのだろうか?
「生産性」という言葉は、これのために、働く者の、生活者のいのちを削るもの、というイメージになってる、少なくとも私の中ではそうなってる、ので、当初の意味を知って、意外だった。
II. 「褒め殺し」
「褒め殺し」を、私は
「右翼団体が、ある政治家を褒め上げることで、その政治家のイメージを下げる」、つまり「自らが世間から悪いイメージを持たれてるという自覚のもと、これを利用する」
みたいな意味がもともとで、
「スポイルする」
みたいな意味はあとから加わった
と思ってた。
ところがどうやら逆で、
「元々は歌舞伎などの芸能関係で使われてきた用語」「若手を必要以上に褒めることで有頂天にさせ、結局その才能をだめにしてしまうこと」
また「競合関係にある人物を過剰にほめ上げて増長させ、大きなスキャンダルや不祥事を誘発させて社会的信用を失墜させることで、その活躍の機会を失わせて才能を潰すこと」
のほうが元の意味らしい。
あと、政治手法としても、攻撃対象者を敢えて賞賛する中で「皮肉・告発を織り交ぜることにより、脅迫罪や強要罪の構成要件を排除しつつ攻撃対象者のイメージダウンをもたらす」もので、「自らの負のイメージの利用」ではなかったっぽい。
「1987年(昭和62年)に、稲川会系の右翼団体「日本皇民党」が、自民党総裁選に立候補していた竹下登に対して「日本一金儲けが上手い竹下さんを内閣総理大臣にしましょう」と街頭演説を行ったことで、一躍有名になった(皇民党事件)」