"Berceuses Des Fées Et Petites Sorcières"

昨年亡くなったある老婦人の遺品の整理をお手伝いするため、先月末から今月頭にかけて、岡山市にあるお宅に滞在した。

ご婦人の居間だったお部屋に、ささやかなオーディオシステムコンポがあった。

電源を入れてみると CD が入ったままだった。スタートさせてみると、えらく趣味の良い音楽が流れ始めた。こういうのお聴きになってたんだ。

2曲目に差し掛かったあたりで、「おいおいなんだこれ。尋常じゃないぞ」ってなってプレイを中断してディスクを取り出して、レーベルを見た。

"Berceuses Des Fées Et Petites Sorcières"(Prikosnovénie PRIK151、2011年)だった。数年前、ご婦人のお誕生日に、私がお送りしたものだった。

妖精と小魔女の子守歌。14のアーティストによる14曲のオムニバス・アルバム。

1 Mediavolo Hypatia
2 Almaveda* Milaf
3 Boann Tamlin
4 Les Marie-Morgane A Ched An Noz
5 Lily Storm O Bee Dty Host, Lhiannoo
6 Sarah Shayna Lullabies
7 Hexperos Elettra’s Lullaby
8 Arfang Arfang De La Lune
9 E.D.O.* Sleep Against The World
10 Onde Le Songe De Kylann
11 H.Peterstorfer & Rija Cradle Song
12 Pinknruby Luka
13 Daemonia Nymphe Oneiro
14 Eybec Aire

 

M01  Mediavolo 'Hypatia'

'-ation' というラテン語系っぽい語尾が聴こえると、「妖精と小魔女」の世界にそぐわない、と感じてしまう。

 

M02  Almaveda 'Milaf'

 

M03  Boann 'Tamlin'

 

M07  Hexperos 'Elettra's Lullaby'

私はこれがいちばんぴったりくる。といいつつ冒頭いきなりハープの付点が甘い。

 

M12  Pinknruby 'Luka'

システムコンポで聴いた時は、中盤、ベースが入ってくると、途端に「曲」っぽくなる、低域から高域までバランスよく含む響きを良しとする俗な基準に従順、そしてそれは妖精じゃなく人間の料簡*1、と感じた。そのあとベースが退いて曲終わりまでのアレンジが、「曲」というより「音の出来事」っぽくて、妖精 or 小魔女の領分に属する。

いま PC でイアフォンで聴くと、感じ方が違って、ベースの入る中盤も違和感なく聴ける。

なんしろヴォーカルが小魔女じみてる。

 

M14  Eybec 'Aire'

 

このほか、

M04  Les Marie-Morgane 'A ched an noz' の2つのヴォーカル・パート*2の、「ハモる気の無さ」というか、2人がそれぞれの歌い方で歌ってる風情が好ましい。

M05  Lily Storm 'O Bee Dty Host, Lhiannoo' は、ハープ1+ヴォーカル1の編成と、トラッドらしい曲調と形式が、アルバム中最も素朴だけど、ハープの、アルペジオとメロを織り交ぜたみたいなアレンジが、単調を免れて、美しい。

M06  Sarah Shayna 'Lullabies' の唱法の「透明」と「まっすぐ」が、遥かに突き抜ける。

唯一、M09  E.D.O. 'Sleep against the world' の、間に合わせの作曲、感情を込める唱法が、我慢ならなかった。場違いだ。ピアノを使うのも。感情とかピアノとかいうものは人間に属する不潔なものだ。

 

全曲つべに上がってる。アルバムも出来てる。

 

 

ついでに、私のジャック・ルヴィエ評価が変わったことについて。

お部屋には、ルヴィエのピアノによるドビュッシー前奏曲集第1巻、第2巻』があった。

私は今までルヴィエについて、おっとりしたおぼっちゃん的イメージがあった。

それはミシェル・ベロフのドビュッシー(の1回目の録音)と比較してのことだった。ベロフの、運動性と、尖った音色と、遠近感というか、フォルティシモの直後のピアニシモ、その極端な落差。EMI の録音・ミックスのせいもあるのかも。

これに較べると、ルヴィエ盤は、過剰な間接音の中で、ことさら曲を分析して見せるのではなく、そつなく譜面が音化されて、オブジェ的にそこに置かれてる、という印象だった。それでもよく聴くと、いっさいの曖昧さ無く、細部まで造形されてることは、わかってたが。

今回殊に『第2巻』第1曲「(…霧)」を聴いて、ちょっと驚いた。

この曲は、もやもやしたトーン・クラスターとして提示することも出来る。

ルヴィエのは、8分音符の5分の1の長さ毎に変わる響きのいちいちが意識的に扱われてる、みたいに聴こえた。

これは、おっとりどころか、とんでもない過激ではないか?

*1:追記 2023年03月05日

というか「カデンツが明確になる、説明っぽくなる」ことがヒトの料簡なのかな。

*2:右から聴こえるのは左のパートのディレイだと思うけど、違うかな? これと、真ん中のパートとの、2声。