下書き放出 (食パン)

私は食パンを、何もつけずにそのまま食べる。「食パンに何つける?」の設問が、食パンには何かつけるものだという前提なのが、謎である。私はパン自体が好きなんだ。

 

最近は、軽く蒸して食べる。蒸籠もってないので、ふつうのお鍋に浅く水を入れて、ティーカップで高さを作った上に食パンを乗っけて、蒸す。

 

近所で最安値の食パンは、ウエルシアの「ヤマザキ サンハート」の¥85+税/斤。ウエルシアは割と早い段階で見切り始めるし、最大半額になる。

 

最安値商品の、パサついた見切り品も、倍の値段の商品の仕入れたてのも、蒸せばしっとりのほかほかにおいくなる。違いが判らなくなる。

 

業務スーパーBig-A はもっと安いかもだけど、片道徒歩20分は通えない(チャリが無い)。西小山の、直近に業スーと大黒屋のある環境はふつうじゃなかった。

 

安く買えると嬉しい。けど流通のどこかの段階に歪みがあるゆえの安さならいらない。誰かの犠牲の上に成り立つ値段は、喜べないし、廻り廻って他人事じゃない。

 

 

昔は志津の OK ストアまで片道1時間15分掛けて歩いたりしてたのに。

 

ある時店内放送で、店長の声で「ウチより安く売ってる他店があったら、チラシをお持ち頂ければその値段で売らせて頂く」というのを耳にしてしまい、即刻その場を離れた。行くのをやめた。

地域を破壊しに来てると思ったので。バカなのか? というか客をバカにしてるのか? 客を消費者としてしかイメージできないのか? 同時に地域の構成員なわけだが。

 

志津の OK は知らぬ間に無くなってた。

この記事(2018年06月22日付)によると、2018年06月24日のこと。

「建物老朽化による建替えのため」

「建替え後にオーケーは出店しない。再び志津駅周辺に出店できるよう、物件を探すという」

「2017年11月に、同社は、志津駅から直線距離で約1kmの京成本線ユーカリが丘」最寄の商業施設「スカイプラザモール」1階に、「オーケーユーカリが丘店(1999.00m2)をオープンしており、今後は、「ユーカリが丘店」を利用するように呼びかけている」

建物老朽化による建て替えのため、というと、破綻したとか撤退したとかではないように聞こえるが、じゃあなぜ建て替え後に出店しなかったんだろう? 他の物件を探した形跡は本当にあるのか?

売場面積の値が面白い。「1999」と、2000.00に限りなく近づくそぶりを見せておいて、立ち止まったポイントは煮え切らなさを窮め、かつ「.00」とキリの良さを窮める。

 

 

作曲において、いっぽうでは、「素材」自体がそもそも有(も)つ魅力をそのまま抽出できれば、それ以上殊更の作曲技法は要らない、という立場もあり得る。あるいはそれが出来ればそれこそ究極の技法であるとも。

ただ、もういっぽうでは、作曲技法の拙劣や、技法を尽くしたりそもそも技法を切り拓いたりすることを「サボる」ことの言い訳に、素材主義を持ち出してはならない。

 

自然の中や街の中、現実空間での物音、音の振舞いに耳を澄ますのが好きだ。それらは作曲の人為の掛かっていない「素材」だけど、それらを「聴く」行為の中で作曲が行われてる、といえる。構造を読み取る行為がすなわち作曲である。

 

私は「食」においてはプレーンなものそのままを好む傾向があるけど「作曲、音楽」に対してはどうだっけ、と思い廻らしてみた。いやもちろん食パンは「素材」じゃなくて立派な「料理」だと思うけど。