渋谷系についての前半と、さっきの夢についての後半は、相互に無関係です。
当ブログを「渋谷系」で検索した結果。
話があちこちに飛ぶ記事の、後半で、以下のように。
私が渋谷系を嫌いな理由は何だろう?
習俗と結びついてることが、音楽の自律と純粋を貴ぶ私には我慢ならない、のかなあ?
なんしろ音楽は超俗と思ってる。日常生活の中にあって、ファッションとして消費される音楽は居たたまれない。
とか、いろいろ思いつくけど、いちばんの理由は、私の大事に思ってる音楽の分野と、渋谷系とが、人脈とかファン層とかにおいて近接してること、だと思う。ごっちゃにされることへの嫌悪。
「えっ、渋谷系嫌いなの?!」と驚かれそうで、まさにそこに「嫌い」のキモがある気がする。
「テクノ」とか「メトロ系」とかについてもそう。
以上です。
さっきの夢。
アメブロでフォロー差し上げている方と Yes "Going For The One" についてやり取りするというか教えを乞うているシーンがあったと思う、それに続くシーン。
ユアエルムの3階フロアにエスカレータで着き、Nojima の売場。
ここでも先ほどのシーン同様「話が早い」というか「言わずもがなで話が進む」という感じを持ちつつ。売場奥の方に男女の店員が5人ほど。開店時刻になったばかりで店内は照明がまだ薄暗く客は私ひとり。
店員はその一角に固まって立ってるからそこに向かえばよいということが「判っている」から、私は小走りに急ぎ気味にそこに向かう。店員はこの時刻にここに現れる私が客であることが「判っている」し、私が唯一の客だから私に声を掛ければよいということが「判っている」。
私「鉛筆削りの……一番安いのでいいんですが……」
店員「一番安いのというと、13,500円のものと、そのほかに1円35銭のものがありますが、こちらでもよろしいですか?」
この店員のセリフは、店員のセリフというより、事前の私の考え「鉛筆削りといっても『家電製品』的なものから、最も原始的で単純で小さい『粗品』としてタダで配られそうなものまであるな」をなぞったもの、というかこういう返しが来ることがあらかじめ「判っている」。