ウィキ「アヴァン・ポップ」の項によると、この語は1990年代以降のアメリカで提唱された芸術運動を指す語らしいけど、当記事はこれとは無関係。
私はこの語に、最初 Slapp Happy か Anthony Moore についての評論の中で出会った筈。
で、この語に相応しいもののうちの白眉は、初期 Eno だ、と思い当たったのだった。
和声は貧しい。展開の幅は狭い。そういうのは Fripp にやらせておけばいい。
Eno 自身が「楽器や機材との最初の出会いでは必ずハプニングが起きる」みたいなことを言ってたと思うけど、アヴァン・ポップのキモはたぶん、そういう新鮮な驚きをそのまま作品に採用する、という点ではないか。
一方では、ポップ・ソングとしての体裁がある。
他方では、新鮮に発見された、楽器の音色やエフェクト処理の面白さや、それに触発されて出て来た楽想を提示する。作曲の必然に沿って用意するのではなく、要素をそれそのものとして「無邪気に」配置する。
コーラス・ワークなど、真っ当な作曲の世界から見れば陳腐なようでいて、ここに置くことで面白さを再発見してる体で、不思議。
発見された出来事を、これ単独で純粋に展開して見せることも出来る筈だけど、そうはしないでポップの要素として、ポップの体裁の上に乗っける。
アヴァン・ポップにおいては、ポップは、ポップ・スターのアピールのための道具でも、気分の醸成のための道具でもなく、それ自体「聴かれる」対象である。
ピッチをわざとずらす効果を、私は、♭についてはこの曲の 1'14"~で、♯については 'The Court Of The Crimson King' のコーダで、知った。
じつはこの記事の当初の動機は John Cale のこの曲を貼ることだった。ずいぶん前から取り上げたかったんだけど、どういう文脈でやったらいいか、判らずにいた。そうだ、これはアヴァン・ポップだ。
和声が貧しかったり積極的に無器用だったりするけど、和声的意味付けが不明確な箇所でぶつかる音程を「直す」辻褄合わせは、ここではやっちゃいけないんだと思う。
爆発音で始まるのは、アルバムでの前曲からのメドレーの都合です。
アヴァン・ポップといえば 10cc、10cc といえば Ramases だけど、2014年にこういうのが出てるの知らなかった。