Camel "The Snow Goose"

キャメルは、私が出会った時には既に、例えば新人バンドを紹介するときに当て嵌めるカテゴリーとして「キャメルタイプ」があるくらいの「オーソリティ」だった。私が彼らに対して素直になれなかったのは出会い方のせいだ。

本来、5大バンドをひと通り修めた後に出会って「まだこんなおいしいものが残ってたのか!」と驚く、というのがキャメルの正しい聴き方だ。つまり「B級なのに」という前提で初めて成り立つ感動。

ハナから大御所・オーソリティとして押し付けられると、引く。

 

B級バンドに食指が動くとはどういうことか。

優先順位を飛ばして、それが欲しくなる、B級のための別枠が頭の中の CD ラックに確保されてる、この料簡の正体って何だろう?

B級がたんに「A級に次ぐもの」であるのなら、B級に積極的存在意義は無い。

 

木立の向こうに垣間見える建物は美しい。

建物そのものが具える性質や価値ではなく、置かれた環境に依存する「見え方」が価値を生む。

A級とB級の違いとは「聴かれ方」の違いのことだ。「出会い方」に基づくダブスタによって棲み分けるのだ。

 

 

 

 

例えば、'Preparation' では、同じメロを、順繰りにフルート→オーボエクラリネットと受け渡し、次いで3者のユニゾン、という身も蓋も無い真似をやってのける。キャメルだから許される。これをもしイエスがやったら、ちょっと待て、ってなる。

 

……やってたわ………

4'58"~5'47"。

ただし、この曲のエンディング(13'45"~)=このアルバムのエンディングは、このメロを使って、ベース1本だけでこんな美しい響きの構造を作れるんだ、という音楽。