První Hoře

「ジャンルを超える」にはいろいろある。クリエイティヴなものも、そうでないものも。

ジャンルをハナから意識せずやってなおかつ結果がユニークなのは「天才」であって、私がそれをやると、ジャンルに無意識裡に囚われた凡庸になる。真にユニークであるためには、まず既存のあらゆるジャンルを修めねばならない。

 

何のためにあらゆるジャンルを修めるのか。手持ちの札を多くしていろんな場面に即応するため、ではない。各ジャンルの発想をそれのまま保持するのであれば、その数を並列的にいくら増やしても、クリエイティヴな意味で「ジャンルを超え」てはいない。

 

私は私の中に、あらゆるジャンルを修めた先に、発想のしかたそのものを不断に編み出してゆくダイナミズムを獲得せねばならない。

 

2008年。私が知ったのは2013年。ザビエル・レコードさんのツイートで。

評価高いんだろうし、ザビエルの当時の店長小林氏も、1本のレヴュー中に「チェコロック史上最強の超ド級変態傑作!!」(アオリ)「今チェコでダントツで最高のロックバンド」「ハッキリ言って、チェコ・ロック史上屈指の名作となる物凄い作品であると断言します」「こんなに凄い作品に出合ったのは、何年ぶりだろうか…」「自分が知る限りチェコ・ロックの最強変態傑作」と似たような言葉を何度も重ねて大プッシュしてたけど、当時私はこの「異質なジャンルのザッピング」を「類型的」と思ったのだった。「類型の破り方が類型に陥ってる」と。じじつかっこいいんだし、なにより「お馬鹿」に免じて全てが許されてしまうけど。 

 

Farmers Market を私が「不毛」と思ってしまったのも、同じ理由から。

思えばロックの分野では昔から、いろんなジャンルを並列ないし短絡的に融合して見せただけでクリエイティヴとされて来て、そこの立場の違いがまさにわたし的プログレか否かの判別ポイントだったりする。

 

チェコには「お馬鹿」の先達として Už Jsme Doma がいる。