「も」と言ってしまう日本語

これは飽くまで私個人の修辞感覚に照らして、なんだけど。

 

藤子・F・不二雄ジャイアンに言わせた

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」

は、ジャイアニズムを端的に言い表す名フレーズであるに違いない*1。意味内容においては。

 

だが私は引っ掛かる。後半の「おれのものも」の「も」が「は」ではなく「も」であることに。ここは

「おまえのものはおれのもの、おれのものはおれのもの」

とするのが私の感覚だ。

 

ここは「は」と言っておけば「も」を含意する。

「言わずに済ませられることは言わない」は(私の)修辞の美学の鉄則のひとつである。「も」を用いなくても「も」の意味であることが判る場合に「も」と言ってしまうのは、「気持ちの前のめり」乃ち「意味内容自身に語らせるという鉄則を忘れること」である。

つまりこの「も」は端的にトートロジーである。だから忌避される。

 

このフレーズがもし Shakespeare "Measure For Measure" の

What's mine is yours, and what is yours is mine.

を元ネタとするのなら、

「おまえのものはおれのもの、おれのものはおまえのもの」*2

を踏まえ、この形式を能う限り踏襲することが、パロディ成立に必須の手続きである。これもここで「も」を忌避する理由である。

 

いっぱんに、私は日本語が「も」と言い過ぎると感じているし、私個人の言語生活においてなるべく「も」と言わないことを心懸けている。 

日本語は、わざわざ副詞 also や too を付け加えずに助詞「は」を「も」に置き換える手間だけで言えてしまうから、うっかり言ってしまうんだと思う。

 

関連記事(おもに NHK dis ですが):

shinkai6501.hatenablog.com

*1:というか、ジャイアニズムという概念は、そもそもこのフレーズに発しているようだ。

*2:前後を入れ替えてるのは、でないとギャグとして成り立つ形に持って行けないから。